●故 高倉健に礼賛の嵐
俳優高倉建を知らない日本人はまずいないだろう。氏の映画を一本も見た事がない中年以上もまずいないだろう。なにしろ亡くなられた日から、メディアやソーシャルブログで、無口で我慢強く、やる時は命をかけて行動するという、この良き日本伝統を体現した男性像に、映画界はもちろん各界から礼賛の嵐が巻き起こった。コラムに取り上げなかった新聞はない。どれも優れた想い出と、エピソード、社会的考察でした。
こういう没後に高倉建を称賛する記事を飽かず読んでいるそれがしは、しかし氏の映画を見たのは一本きりである。だから、もの知らずにもほどがある、恥を知れ!と叱られそうで、人前では言わない。若い頃から進んで邦画をみたことがない小生、40年以上も日本を離れて生活しているとこの方面には仲間はずれである。恥を忍んで無頼にも一文アップしておく。
●ブラックレイン
それがしの本棚に同名の英文文庫本があり、井伏鱒二の原爆を描いた「黒い雨」の英訳である。これとは全く関係のない映画 「ブラックレイン」というのを、十年以上はまえのこと、当地のTVで見たのが高倉健映画の最初で最後であった。字幕はノルウェー語だが、たしか刑事役の建さんら日本の俳優も英語で話していた。この映画にはへんてこな大阪南の歓楽街がでてきたりして、へんに懐かしく面白かった。最後のシーンだったか、日米の両刑事が目と目で理解し合う演技は、実にクライマックス。高倉健と言う人は任侠者の役者と思っていたが、素晴らしい俳優とこのとき思い直し感心した。
しかし驚いたな、200本以上の映画に出演していたとは。「幸福の黄色いハンカチ」や「鉄道員」という超有名な作品にも無知、映画館で高倉健主演の映画を一度もみていない小生が、無知っだといえ、200本以上の映画にですよ、TVドラマじゃなくて映画にそれも例外を除けばすべて主演したいたとは。この記録は何人も破れないでしょう。
小生が驚いたのは、米では日本のクリント・イーストウッドと言われる米メディアの高倉健追悼報道はわかるが、韓国や特に中国での追悼報道にはおどろいた。中国では文革のあと、初めての外国映画が「君よ憤怒の河を渡れ」であったという。いま中高年の中国人には理想の男性像であった由。人種を超えて稀有なオーラを放つ天性の俳優である。
●一本の人生と透徹した言葉
また小生が読み直した氏の言葉(2012、日経連載『高倉健のダイレクトメッセージより』):
【人生には、そんなにいいことはめぐってきません。がんばれば必ず報われるかといえば、それもウソでしょう。けれども、ほんのたまにめぐってくるいいことを見逃さないために、普段から神経を張りつめて、がんばっている必要があったのです。】
上の日常語を自身の仕事に置き換えると、芸術家の金言となる:
【観る人を感動させる最高の演技というのは、何回もできるものではありません。全身全霊がパッとほとばしる瞬間は、たった一度きりといっても過言ではないでしょう。その一度の演技のために、多くのものを捨てて心身を整え、出来得る準備はすべて整えておく。】(了)