安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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哀悼、岡崎久彦さま
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( 2014年 10月 30日 木曜日


●訃報
岡崎久彦氏が26日84歳で死去された。拙子は氏の謦咳に接したことはないが、まだまだ生きていて欲しかった人。氏は最近まで種々な集まりに姿を見せておられ、評論も発表されていたことから訃報に戸惑った。この2年余り、氏のサイト「世界の論調批評」が更新されなくて、こんな親切な仕事は「もうやっとられん」とエネルギーをセーブされたのだろうと思っていたが、迂闊だった。

拙子がはじめて岡崎大使の著述に接したのは、かれこれ30年以上前になるだろうか、当地での生活の潤いにと、『文芸春秋』を購読していた。その文芸春秋に岡崎大使の連載『繁栄と衰退と−オランダ史に日本が見える』があり、これが氏を文で知ったはじめである。小国オランダの海外展開といった内容で、難解と言うほどでもないが、文章がどこか翻訳調でまだるっこく、それでもたった一冊の月刊誌なので毎回忠実に読んだものですどの。ま、内容は余り覚えていないが、それがしが後年HPに時評を書き出した遠因になった。

●終生、大使と呼ばれる
それにしても大使は優雅だな、私的な時間をたくさん持てるんだな、と偽らざる印象をもった。岡崎氏は外務省を退職されるまで米、サウジ、韓国などあちこちの大使に赴任されていて勤務した国は多いが、肩書きはなぜか元駐タイ大使が多い。それと氏を呼ぶ時に退任した社長や会長に話かけるように「・・さん」とか「・・センセ」を使うのは部外者で、近くの後輩は「大使」と呼びかける。それが氏のオーラに似合っていてよい雰囲気が漂うのである。

●NGOからNOPへ
岡崎氏が外務省を退職後、早世した博報堂の小川彰さんが奔走してNGO法人岡崎研究所ができ、企業からの寄付金集めにはこの小川さんがあたっていた。で、万事決まってから岡崎氏がおもむろに件の社長なり会長を訪ね挨拶される..なんて話を聞いたことがある。当時は個人にも年わずかの会費で会員制度がありましたが、その後NPO法人になるまで苦労も経験されている。

NGOの頃から岡崎研究所の門前の小僧を自称されていたかんべえさんこと吉崎達彦氏が、HPに素晴らしいお別れを28日の「溜池通信に」アップされているのでぜひご覧下さい。http://www.tameike.net/

●睦奥宗光の評伝
氏の名著『戦略的思考とは何か』や、産経「正論」の主要論客であったこと、靖国神社−遊就館の展示批判、安倍首相に止まらず歴代自民党総裁の外交ブレーンであったことなどは知られた活動であるが、拙子が畏敬するのは岡崎大使の漢文知識である。氏の著述に_々あらわれる見慣れない漢語は気取りじゃなくて漢籍知識のいわば廃物利用なのです。岡崎氏のご先祖である「陸奥宗光」には同名の上・下刊と『明治の外交力_陸奥宗光の『蹇蹇録』に学ぶ_の著書がある。蹇蹇録(けんけんろく)とは日清戦争の外務大臣であった陸奥宗光の回想録。ご先祖といえ、こういう古典を掘り下げる求道的な知の国際政治評論家は、岡崎久彦氏が最後であろうか。拙子、今日は虚ろな日である。(了)






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