安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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ヴェニスの奇跡(連載3)
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( 2014年 9月 27日 土曜日


●冒頭わたしごとです
ゼロ歳児のときから2年近く、このベルゲンに赴任中の両親と一緒だったK.I君が大学院を一年残しているが就職も決まった。今の間に休みを取って幼児期の地を訪問、一週間ほど滞在すると父のN.Iさんから連絡があった。先日、彼が住んでいた家と街中に引っ越した時のアパートに案内し、フロイエンは行ったとかで、その倍の高さのウルリケン山頂にロープウェイで上って、小生も久しぶりの大展望。それからブリッゲンを見て、わが家でゆっくりご飯と家庭料理をいただきました。若いだけあってよく食べるな。おいしいおいしいといって・・別にどうってこと無いのだが付け品に生ジャケの刺身、これは水揚げ2時間内に真空パックして賞味期間3日のもの、日本では冷凍の戻しですから歴然に違いがわかる。日本の客にはシャケとクジラの刺身がバカ受けである。

K.I君はちょうど父と母の中をとった感じでとてもかわいらしい、ま、二十四才ではあるが、家内はとてもかわいらしいという。わが家の敷物の上で寝かされていたあの赤ちゃんが二十四才になった。立派に成長した姿にえも言われぬ喜びを感じたしだいである。さて本題へ。

●ホテル・チプリアーノ
サン・マルコ広場の水上バス停留所から運河越にサルーテ聖堂の鐘楼がよく見える。その突堤の元税関の建物が、安藤忠雄の改装設計になる「現代美術館」になっている。プンタ・デラ・ドガーナ(Punta della Dogana)と地図にあるのがそうだ。調べてきたHさんもぜひというのではなさそうで、それがしも現代美術はようわからん。それに時間の問題もあるので昼食の島へまずわたることにした。サンマルコの埠頭からホテル・チプリアーニへは、ホテル客専用のモーターボートがあると聞いていたが、それでは早く到着してしまう。で、水上バスのピタパでジッテレZittelleという停留所でおりて、はて、それがしは地図を持っていない。買う気もない。Hさんが日本のヴェニス案内書にある地図でどこそこへと言う計画に応じてそれがしは案内図で乗り場やプラットフォームを探すのである。かなりいい加減なのです。

反対側の外海に沿って歩いていくべえか、と島を横切るミケランジェロ通りとサインのある路を行ったが路は海でおしまい。人気のないボート乗り場があるだけで海岸に路が無いのである。

↓観光道路から一歩は離れると、真昼のせいか、人も犬もいない、忘れられたようなような無音の街並がつづく。


一画に小学校、といっても外からは見えず、裏庭の門のような所から出て来た小学生とそのお母さんにホテルを聞く。やはりボ−ト停留所から海岸沿いに歩くと行き当たる由。それでそのとおりバックして岬にむかったが、ホテルらしきものがない。どうなってんのと時間を気にしながら行くと。路地の入口に小さな紋章風看板が目についた。ベルモンドホテル・チプリアーノとあった。両壁の狭い路地はしかしどこか雰囲気が上等で、しばらく行くと右に果樹園や菜園がみえる。最初の左の建物にフロントと思って入る。入った途端にこれは違うときづいたが、ベルを鳴らしておいてにげるわけにもいかない。あらわれた妖麗な女性にホテルフロントはお隣ですとあくまでにこやかである。ここは高級エステなのでありました。ホント珍道中になっておはずかしい。隣のホテルフロントではうやうやしく「お名前はリザーブしてございます、庭の方のレストランへどうぞ」。ちょうど5分遅れて到着したのだが5分というのは遅れマージンとして理想的である。

海際のテーブルに案内される。客は余り多くない。ほとんど会話の無いイタリアの熟年男女と、フランスの5人グループ。昼飯だからかんたんにといってもメニューにそれらしきものはないわな。とりあえず手頃なワインと水をボトルで、あとはリソットやパスタ、スパゲッティなど何を入れてもらうか相談して注文、キチンと細かく応対してくれるのがありがたい。あとサラダボールとにプレートを三つ用意してもらう。こういうわからずやの注文に、慇懃かつ親切に英語で応対してくれるのはさすが、白上着のマスターも黒服の給仕さんたちも躾がよい。街中で食べるボーイさんではこうはいかない。ということで高級な気分、想い出になる素晴らしいひとときをすごしました。Hさんはトイレに入ってからの通路にエッチングがずらりとならべてあったことに画廊のようと感激。それがしは手ふきが温風や紙でなく使い捨てのタオルであることに満足。そりゃ5星ですもの。

↓食べ終わったあとのテーブルです。遠くにヴェネチアの本島が見える。近くの森はサン・ジョルジョ・マジョレ島、同名の教会がある。


↓お庭は広くゆったり。


あとで知ったのですが、このホテルの食材は野菜・果物は総て自家製という。たしかにサラダはフォアグラが入っているからではなく、実に新鮮で美味しかった。ワインも安い方から ン番目だが、美味しかった。ということで3人とも大満足。

あとはお勘定だが、わたしの5泊ホテル代と同額でしたな。これくらいだとチップもハンパじゃないぞ。Hさんは、ここは私達にと言い張るので、お委せする。親しき仲にも礼儀あり、かならずなんでも割り勘なのですが、ここはごちそうさまでした。帰りは専用ボートで送ってもらう。船着き場には赤い制服のボート係りが、「奥様お手をどうぞ」とやってくれます。要するにホテルへは専用ボートで来るのがホテルの正面玄関、で水上バスからのこのこと歩いてチェックインする客はないのだな。われわれが紛れ込んだあの路地は泊まり客が散歩に出る時ようなのでしょう。

とにかくゆっくり寛いでお食事というときにはお薦め、ただし冬場は閉店しております。

●絵になるブラノ島
このあとヴェネチアン刺繍の本場・ブラノ島へは一度サンマルコに戻ってそこから出発するのですが、これが大変遠い。帰りが遅くなって戻りのボートがなくならないか、Hさんは最終便を気にしていた。遅くついたが、なに、ここは大観光地である。色とりどりに塗られた家並みと運河、ようするに絵になる。誰が撮っても絵はがきにりそうな「密な風景」だ。なんでも漁師の村であった島ですが、おとこ手が漁に出ている間、かみさんたちは刺繍をして帰りを待っていたという。何ヵ月ぶりかに帰って来た亭主が、家を間違えないように、色を塗って目印にしたという。それでいまは観光ですから町中の家が色付きというわけ。しかし終日観光客で賑わう町では町の謂れにあるような風情はありません。中国はもちろん雑多な観光客でごった返しておりました。

↓赤系、青系。緑系、紫系と、濃度も明度もさまざまな色彩の家々。けばけばしいところがないので助かる。 


(次回に続く)






Pnorama Box制作委員会


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