明日からしばらく家を離れます。一週間ばかりコラムをご無沙汰するかも、よろしく。
●挨拶ができなかった朴 槿惠
オバマ仲介による日米韓の会談は安倍−朴の顔合わせに意味があって、実質なにもない。ではあるけれど、実際は安倍さんの韓国語挨拶に、下を向いたまま返答もしなかった。その態度がですね、胡錦濤が小泉の求める握手に無言で睨み返したように尊大なら「ホホー、お主できるな」となるんですが、朴さんはぎこちなくこわばった表情でした。本国向け強がり説もあるが、告げ口外交の負い目を感じていたとおもう。にしても挨拶ひとつできない大統領とは困った人だ。
その前日には中国兄貴分に擦り寄って両手で習の右手を握り、反日共闘で有頂天になっていました。だから、オバマと安倍の前に出て緊張するのはよーくわかりますがね、事情はいかにあれど子供の喧嘩じゃなし、挨拶くらいはね。朴さんはオランダ皇室主宰の晩餐会に風邪を理由に欠席したり、困難に立ち向かうより、安心喜楽な道を行く人ですね。
●オバマ、バチカンへ
オバマは尊敬するフランシスコ教皇に会うためイタリアへ。こう言う場合バチカンは「謁見」、米は会見とか訪問という。オバマが弱者、病人を抱擁する清貧な現法皇をたいへん崇敬するのはそうだろう。しかしオバマの生活は歴代米大統領の中でもずば抜けて贅沢だ。ミッシェルと子供ら家族は中国旅行中である。昨日はパンダ飼育場で嬉々としております。いつも言ってることですが、実生活と理想、発言と実行が伴わない人ですね。あるいはオバマの「金持ち増税政策」とか「最低賃金10ドル」をもって連帯しているつもりなのか。
バチカンは長らく権威的性格の法皇が君臨していたため、豪奢な司教がすくなくない。自分が住む司教館に40億円の新館をたて、飛行機はいつもファーストクラスで、インドのスラム街救済活動にもファーストクラスで往復するドイツの司教がいた。で、法皇フランシスは専用パレスにはいらず、近くのホテル住まい、小さな箱車で通勤しているのだから不釣り合いですな。豪奢司教は解任され、司教区を離れたポジションに移される。クビにすればいよいのに。
●バチカンこぼれ話
▽日中戦争(支那事変)が始まった年である1937年、10月に、当時のローマ法王ピオ11世は:
『支那事変は日本による侵略ではない。共産主義を排除するための戦い、全世界のカトリック教会と信徒は遠慮なく日本軍に協力せよ!』 といった趣旨の声明を世界に発した。まことに超親日ポープでありました。
▽パウロ6世は1975年、真言宗醍醐派品川寺の僧侶だった仲田順和(のちの醍醐寺第103世座主)の申し出「東京裁判で戦犯になった者へのミサの依頼」を快諾。翌年1mほどの精巧な醍醐五重塔模型に、A級戦犯を含む英霊の位牌を納め、バチカンに奉納された。その後パウロ六世が死去したため頓挫したかに見えたが、5年後の1980年5月、ヨハネ.パウロ2世が「忘れていない」と、あのサンピエトロ大聖堂で荘厳ミサを司祭したのです。で、それがしがバチカンを→に沿ってぞろぞろ見学したとき、この五重塔を捜したのですが部屋にもなかった。どこかにあるのでしょうが、わかりません。
まあ、バチカンといっても法皇によっていろいろ考えに差があり、ナチ全盛の頃にはヒットラーにおもねって会いに行った法皇もいました。お供の大司教や司教たちがナチの軍幹部と一緒に右手を上げ「ハイルH!」をやってる写真がありますな。(了)