安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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昔住んだ場所を訊ねて
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( 2013年 11月 10日 日曜日


先月22日から長年の伴侶と帰省しておりました。その間、とうとう一度も更新せず昨日遅く我家に戻り、旅装を解いたところです。いや、滞在中は余り時間がありながらもコラムを更新する気力の余裕なく、夜九時頃にはバタンキューでありました。

●伴侶も一緒
今回は35年ぶりに日本を再訪する家内(以下I.J.)と一緒に帰省しました。I.J.はたいへんな暑がりなので、夏の日本には降参、冬休みはクリスマスで空けられない。というので退職したら一緒に行くと楽しみにしていましたが、母が亡くなり長女なので葬儀や整理に追われ、孫が次々できてそちらの方に心はせんぶ向いてかいがいしく、延び延びになっていたわけです。

今回は10月末から11月上旬にかけて気候もよし、9月にそれがしが卒中もどきで救急車で・・そのまま一週間入院を余技なくされたこともあって、I.J.が「心配だからついてゆく」というので一緒に長旅しました。I.J.と先回帰省したときは、孫のいる息子と娘が7歳と5歳のときでした。その後ここの息子と娘はそれぞれ日本生活を数年しているが、家内は35年前に十日ばかり働いていた奈良に来たのみである。

こうも久しぶりだと、I.J.は方々から歓待されるものだな。帰省するや早速それがしの家族一同30人程が集まって一夕の宴をもちました。ま、兄弟姉妹は当地に来たこともあるが、大きくなった従兄や初めてのハトコなど、実に楽しい集まりでした。他にもお呼ばれがあり、それがしもうれしく陪席に預かりましたな。

奈良ではI.J.が園長として働いていた教会が新建物完成35周年の記念日にあたり、偶然ですがちょうど帰省中でした。家内の英語クラスにいた女生徒が現在、園長になっていたほか、昔の知己に会えて、家内は望外の歓びに浸っておりました。

●49年前、神戸に住んでいた伴侶
I.J.の希望で3日のあいだ神戸三宮にホテルとり懐かしのKOBEを訪ねあるきました。I.J.は49年前、東京オリンピックの年にはるばるベルゲンの港から客船に乗り、ローマ、エジプト、スエズを抜けボンベイや香港に帰港して神戸港に着いたのです。24才の独身女性、一ヵ月余りの船旅であった。

そして神戸市灘区寺田町にあった宣教師館に住んで近くの長沼日本語学校に通い、すぐ近くの六甲ルーテル教会に属していた。長沼式の日本語教育メソッドはヒドイもので、ローマ字と復唱で成り立ち、漢字や文法を除外している。したがって、I.J.はゆっくりだが日本語で日常語はもちろん意見も述べられるが漢字が詠めないので話すときは語彙を探し探しすることになる。

さて、サンチカが広く新しくなっているのに驚き。ゴチャゴチャしていたセンター街やトアロードのすっきりした姿、再建された大丸など発展ぶりをこの目で見て歓び。あたらしい港湾地区や、ポート・アイランドの大きさに感心しきり。というのはI.J.が住んでいた宣教師館の近くを山から埋め立てに使う土を運び出すベルトコンベアが通っていたという。

●住んでいた場所を訊ね捜す
六甲へは神戸大学南西の端でタクシーを降りて、そこから歩いて捜すことにした。山手のことであり、1995年の阪神大震災で六甲ルーテル教会が倒壊し、辺りの急斜面の住宅街などがかなり被害を受けている。ホテルにある市内観光地図では役立たず、人に聞いても定かではない。運良く交番でI.J.が訪ねると、さすが日本の交番システムは素晴らしい、土地をよく知っている。寺田町の街路地図で、懇切に教えてもらいその方向へ。すると細い道は舗装され家々はすべて変ったが道路の上り下がりで土地勘がもどったか、I.J.は生き生きとした足取りである。途中,指をさしてあそこにドイツから逃げてきたユダヤ人が、ここにはアメリカ人家族の家があったなど、いまは日本人の住む住宅に建て替えられているが、異邦人の多い地区だったらしい。

住んでいた宣教師館には三軒の家が立ち、もと庭であった三角形の土地は建て地に適さないのか灘市市有地になっていた(写真1)。そこから下へ鉄の小さな階段を下りて小川に架かる小橋をわたり、斜面を下ると教会があったという。小橋はなく対岸は塀で覆われていたが、鉄の錆びた階段が残っていた。I.J.はゆっくりその錆びた階段を降り、しばらく六甲の山から流れる今ではセメントの小川に黙って佇んでいた。若い頃の想い出がよぎるのか感無量であろう。あの大震災で倒れた教会は語学院を併設して再建されていた(写真2)。(了)
(写真1)


(写真2)






Pnorama Box制作委員会


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