安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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掘辰雄の『大和路』を想う
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( 2013年 10月 3日 木曜日


●「風立ちぬ」
宮崎駿のアニメ「風立ちぬ」が毎回のように興行成績が良い。それがしは「千と千尋の神隠し」のヴィデオを封切りの数年あとで貰ったのを見た。宮崎作品を見たのはこれ一つ、もう充分お腹いっぱいの感想で、他は見たいと思わない。それがしは宮崎監督と同年生まれ、数週間の違いでしかない同世代なのですが、宮崎アニメを語る資格がないと自覚している。

掘辰雄の「風立ちぬ」ほか何冊か姉の本棚から読んだことがある。みな薄テの文庫本で、血湧き肉踊る読み物と対照的に、今思うとサラサラとした哀しさ、中学生に適度に歯ごたえの有る文章でした。僕らの世代はだいたい中高生のころ、特に女性は堀辰雄ファンが多かった。そのころ戦後の奈良に住む貧しかったぼくらには信州信濃のサナトリウムが豊かな外国のように映ったものである。

●奈良ホテルに滞在
本題は堀辰雄が奈良を歩き回った「大和路」と題する随筆についてです。昭和12年から18年にかけて6回も奈良にきている。京都や神戸訪問のついでに奈良に立ち寄った回もあるが、よほど大和路がお好きな人らしい。氏が歩いた頃は奈良にビルと言えるような建物もなし、社寺はどこも鄙びて古ぼけ、もちろん拝観料なし、海竜王寺は無住だったという。昭和16年に来たときは世界クラスの奈良ホテルに滞在、庶民に縁の無いホテルである。印税で暮らし向きはとても良かったようですな。

14年には文人溜まりの「日吉館」に泊まったのだが、食卓で彼らの談論風発が迷惑だったのでしょうか、それにしても奈良ホテルに何日も籠って小説を書こうなんて贅沢だな。戦争が始まったときにですよ。ホテルの絵はがきに矢印をつけて『此處デ僕ガ小説ヲ書カイテイルノダヨ』とペン書きして多恵子夫人に出している。でも筆は進まず、意図した「天平時代の小説」に焦り呻吟し投げ出したようだ。

『ゆうべは少し寝られなかった。そうして寝られぬまま、仕事のことを考えているうちに、だんだんいくじがなくなってしまった、もう天平時代の小説などを工夫するのは止めた方がいいような気がしてきた。』

●明治生まれのしたたかさ
その代わりに、大和路を歩いた印象雑記を後に纏めて『大和路』 ができた。転んでもただでは起きない…掘先生はしたたかです。バスやタクシーが不備だった明治生まれは皆よく歩く。奈良ホテルから「転害門」へ、一条通りを真っすぐ法蓮へ、興福院を回って法華寺、海竜王寺へ、さらに佐紀丘陵から歌姫へと足をのばす。ひとりで歩くのですからしたたかに健脚である。

●瞑想の古寺、古代と観光の仏閣、古代再現
氏がベレー帽を被って歩いた道は、様変わりしたといえ、現在もある。訪れた社寺の鄙びた風情はすっかり様変わりし、管理された社寺になったが、戦前戦後にかけて、観光化されていない頃の大和路と社寺は旅人の心は邪魔されず直接対話できたのだな。おのずと瞑想できたのだな、と気がついた。

戦後多くの文人や画家が奈良を訪れ、何人かは奈良に引っ越して来た。瞑想、哲学、自分と向き合うとか、古寺や歴史に啓発されるとか、それができる大和なのだった。いま、観光客とハイカーで賑わう大和路を歩いても「瞑想」なんて笑いますわな。(了)






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