安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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私事、眼にゴミが
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( 2013年 7月 10日 水曜日


●日曜日は安息日

わたくしごとです。
日曜日、天気がよかったので労働を禁止する安息日ではあるが、音をたてなければ、そしてよそ様の目につかない所でなら、いいだろう。という当地家内の家訓に沿って、離れの枝払いに勤しんだ。お天道様は見通しなのに、いまや宗教的というよりご近所社会への体面なのか。それでもこの国にムンクやグリークが生きていた頃には普遍的な日曜に働かない主義を持続している家庭は、いまやとっくに消滅した。我家は珍しいほうである。

●離れの手入れ

離れの小屋は、夏のヒュッテにさる市内の老婦人が立てたのだが、周囲が住宅開発に曝され、近年は夏休みを過ごすッヒュッテではなくなった。それで35年ほど前にこの老婦人から2年分割払いで譲り受けた通称『離れ』である。 我家は私道のどんづまりにあり、そこから100数十bの森のなか、住宅地の合間に広く取られた松・杉と雑木林の丘陵地自然保護区のまっただ中、見晴らしの良い丘にある。井戸を使うので時々水を流して井戸が淀まないように見回る。 住宅開発とともに整備された自然保護区なので、我が山小屋は存続を許されるが、建て増しはいけないことになっている。筑後60年だが中を改装して日本の2DKくらい。ただし敷地は1800u(約550坪)あるので、伸びてくる白樺やブナや楓や松を手当たり次第に摘み、木をチェーンソウで倒して薪に、庭木を剪定する。

●眼になにか入ったぞ

土曜日に音をたてて家の小回りを芝刈りしたので、日曜日はその掃除と音を立てない庭木の枝払いをしたのである。上をむいて長い枝ばさみで太めのと格闘している時なにやら眼に入った。ゴリゴりしたが、たいした痛みも無くその日は夜遅くまで仕事机に向かっていた。別に異常は感じなかったのだが、真夜中です、眼が痛くて痛くて悶々、寝れるもんじゃない。

夜中、眼の洗浄器キットでパチクリしてもゴミは取れなかった。入った時にすぐ眼を濯げば落ちたのであろうが、瞼裏と眼球の間にシッカと刺のように動かなくなったもよう。

●医者も一斉に夏休み

朝、年来の眼医者さんに電話をしたら、夏休みでいなかった。ここは眼科医が4–5人医務室をもつセンターになっていて、出勤は外科眼科医がただひとり、事務員さんはとにかく来て待っていてくださいと言う返事。

●嗚呼、助かった

で、市内まで家内に送ってもらい待つこと1時間、しかし、窓口の事務員さん二人や、視覚検査の先生はいるので、看護婦さんも入れば、患者も数人待っている。みなさん診察は約束時間の人なので、それがしへのお呼びは待つこと一時間であった。温厚な老先生が、綿棒の先に取り出した浅葱色のツブは木の葉の先っぽであろうか、木の芽のベビーであろうか、丸くて大きなものだった。いや助かりました。

帰りに散髪やさんへ2ヵ月ぶりである。「二ヵ月保つように切っておきましょう」と首筋、耳上を刈り込んでもらう。ただ苅るだけ、洗髪、肩もみや耳掃除、ひげ剃り、ドライヤ、一切なし。早くて安くてうれしくなる。年金者料金があって格安なのだが、それは当店独自のサービスで公共の決まりではない。いつものとおりチップを足して定料金になるよう支払う。

教訓『眼にゴミがと感じたらすぐ洗浄』洗眼カップや洗眼液がなくても蛇口で水洗いできます。(了)

●蝶と芭蕉と日本の夏

というおおとで本日は帰ってから寝直し、俳句でも読もうと「古典俳句、芭蕉とその弟子たち」を紐解く。宮森麻太郎氏の英訳古典である。眼に付いた芭蕉の一句:
柳の蝶 吹たびに 蝶の居直る 柳かな 
A Butterfly on a Willow Tree
Lo! The butterfly shifts its seat
On the willow whenever the wind blows
英訳が上手なのかそうでもないのか分りませんが、小生にはたいへん行き届いた判りやすい訳だ。

42年間、やつがれは日本の夏を知らない。見慣れた蝶や蜻蛉や蝉の鳴き声を見聞きしていない。しかし、羽模様の美しいアゲハなどを別にすると、モンシロチョウやキッチョウ、シジミチョウなどは、柳でなくても葉先や花に止まっているときも常に羽をヒラヒラさせ落ち着かない様子が思い出されて、痛みのおさまった眼に涙がにじむ。なんの変哲も無い静かな「とき」ひとこまに、芭蕉の眼のなんと自然でやさしいことか。(了)







Pnorama Box制作委員会


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