安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


-------- ----------------------------------
溜った本を廃棄する
------------------------------------------
( 2013年 5月 31日 金曜日


●晩年を感じ、所有物を処分した兄
私の一才半上の兄が、この数年所持していた工作機械類、やコンピューター、いくつもありすぎた薄型大画面TVなどを処分している。取りに来てもらえばタダで差し上げます、という広告を出すと、すぐ捌けるらしい。いまは吸塵装置のついた工作離れに、いくつか備え付けの工具を置いている他は、ぜんぶぞうやって同好のひとたちに引き取ってもらった。

一緒に旅行しても朝晩のクスリが1、2、3、4と数えるほど摂取を奥さんに管理されている。健康には充分な注意が要る身体になったためもあろう、遺された者が処分にあぐねないよう、今のうちに処分しているのである。

●積年の蔵書=残滓を棄てる
私も見習って、残滓処分を始めた。旧いコンピューターや外付け部品が、1970代のからあるため、随時処分して来たが、それでもかなりたまっていた。兄のような据え置き工具や、業者がむりやり置いて行った初物電気製品のような大きなものはないが、アグファの製版カメラは二人で持ち上げてドアから出せるように分解しなければならなかった。こんなもの電子製版になってからはだれも使いようが無く、ツアイスのでかいレンズも価値なしだ。

さて、日本の書籍を60%ほどゴミ収集所に運んで棄てました。日本ならチリンチリンと鳴らして本や雑誌の引き取り車がまわってくるのだが、この国では先ず古書籍屋がやってきてめぼしいものを少しタダで引き取る。しかし大半を自分で運んですてなければならない。しかも書籍はペーパー類の仕分けにはいらずその他のゴミになるのである。日本語の古本なんぞ在留邦人も顔をしかめる。

本は重い、特にアート紙の本は非常に重い。強いナイロン袋に20キロずつ入れるとゴミ収集所で反動を付けて放り投げることができるから。ダンボール箱では重すぎて投げられない。

●約500キロの読み滓
約500キロの本をとくに文庫本はほとんど棄てた。お金を払って牽引用荷車に頼んで、それがしも台車に運び乗せ、同乗してゴミ蒐集上で放り投げるのである。よくまあ、これだけ溜ったものだ。英語のペーパーバックがたくさん、ようもくだらん刑事物、ミステリー。ニンジャものをとわれながら呆れる。

この5年くらいのうちに買った本はなお保存するが、大江健三郎、本多勝一、小田実(これらが結構多い)は装幀のいいものもぜんぶ唾棄するように棄てた。いまでは見るのもいやだ。人生とはつづら折れもあれば、まったく別の道に進むこともある。

●未練のある本と著者
全巻揃った美術全集や、昭和20年代の日本文学全集は棄てきれず手もとに残した。
また、名前だけでも本棚に積んでおきたい著者として、大佛次郎、海音寺潮五郎、吉川英治、司馬太郎、池波正太郎、藤沢周平、に限って文庫本も残した。


この選び方でそれがしの好きな文人が自分でもよくわかった。人の世の機微に惹かれる。さるにても、それがしは実人生で人情機微を感得することが何と少なかったか、ひとえに自の鈍感さを恥じる。その反動か、もともと世界の動向を批評するような見識は持ち合わせないそれがしが、駄文コラムを書き連ねてきたのである。(了)






Pnorama Box制作委員会


HOMEへ戻る