●「主権回復の日」祝典
阿部政府は予定通り4月28日に式典を行う。悦ばしい。サンフランシスコ講和条約で米の占領下にあった日本が施政権を取り戻した独立の日であるが、置き去りにされ、米高等弁務官の統治下におかれた沖縄は、この日を「屈辱の日」と呼んでいるそうだ。
沖縄県民にはよくて忸怩たる胸の内、恨みを抱く人もあるだろう。日本国を本土と沖縄諸島に分けて物言いするのは好ましくないが、「きけわだつみのこゑ」「沖縄挺身隊」_Suicide Cliff_ といった語に、本土のわたしたちは後ろめたい。
●紀元節について
さらに、歴史体験が一致しない落差は決定的だ。沖縄は、戦略的地理の重要性の犠牲になったことだけではないようにおもう。例えば米占領軍によって禁止された「紀元節」が、沖縄で祝典されたことを聞かない。
紀元節の奉祝歌は私が生まれる前の年のことだが、それでも占領後しばらくは、大人たちが「いまこそ祝へ 紀元は二千六百年」と口ずさむのを子供心に聞いていた。そういう想い出は同世代の沖縄人にはなかったであろう。
施政権の返還後、かなり経ってから忘れ物を見つけたように紀元節が復活するのであるが、歴史的には事実が証明されないとか、神代の物語に難くせつけるアホラシイ学者の議論で「建国の日」と改称され、なぜか太陽暦に換算して2月11日に変えてしまった。
●換骨奪胎した「建国の日」制定
神武天皇が紀元前660年、大和を平定し初代天皇に即位して以来、途切れることなく2673年ものあいだ、今上天皇125代に継承されている。こういう世界に類のない平和な歴史を有する日本の建国秘史を、「建国の日」などと「の」つきで祝日と定めてしまった。喜び祝うべき日なのに似て非なる変更に、それがしはしっくり祝えない。政府まで建国をいわう公式行事をしない、そんな国がどこにあるか。況や沖縄県人に於ておや!である。
●本土縣とはケタ違いの沖縄支援
サンフランシスコ条約のあと、沖縄では「本土復帰運動」が展開され、佐藤栄作の「沖縄の復帰なくして日本の独立無し」との努力の末、ニクソンと返還が合意された。余談だが、日本を尊重して対日政策を行った米大統領はR.ニクソンと次のG.フォード、ブッシュJrにつきる。小生の持論で好きな人物である。
沖縄の約3分の1を占める基地がそのままのこされたこと、核抜き本土並みにはほど遠い実情だった。しかしである、返還と、それに伴う県庁や県警の創設、インフラ整備に本土では絶対に見られない巨額投資が行われ、米軍基地を押し付けたお詫びというか、地域振興に_然政府が支援した額は本土の縣に例を見ない。韓国では米軍基地が首都ソウル はじめ全国に散在するが、韓国政府は基地の地元に財政支援を一切していない。中東の米軍基地は米が相手政府に賃貸料を言いなりに支払い、地元自治体にまでなにかとおねだりされている。沖縄は本土の縣より優遇され、沖縄知事や当該市長に、首相、閣僚等が出向く状況が生まれた。沖縄の知事や主張はいったい何様か、ふんぞり返って下克上ではないか。
昔噺で恐縮だが、河野一郎建設大臣が馴染みがいるとかいう奈良富雄の料亭旅館にお越しになったとき、奥田良三知事は料亭に大臣を訪ね、大臣の「生駒山を半分取っ払って大阪とつなげるが肝要」と大風呂敷をただただ畏まって拝聴したのである。奈良県知事として8期30年近く君臨した縣のボスでも、大臣がお遊びに来県しても、平身低頭して表敬訪問する、これが本土の知事さんだった。
●沖縄県人に欠ける日本人意識
なぜ、沖縄人は政府に横柄で非協力的なのだろう。反政府活動家や反日さん、沖縄メディアの影響がいわれるが、そもそも、沖縄の人に日本の古代史、天皇観はないだろう。日本人としての意識がなければ、 理想を振りかざして差別されていると、利己的にひがみ妬むようになる。 だが、醜い沖縄人は実は少数なのではないかとおもいたい。
本土復帰後、沖縄の人口はU-ターン組や、老後の移住組によって人口は増えている。観光業以外、依然として基地経済にたよる閉塞感にあるが、立派な文化施設、会館など不相応なインフラ充足がある。辺野古移転に反対して大規模な市民デモがおこらない。自発的に彷佛としてたちあがる群衆はいないのである。主権回復の日に、屈辱の抗議をする人々に一般市民が何割いるのだろう。沖縄の主張と報道される動きは政治的に偏した一部にすぎない。(了)