●イースター前の聖金曜日
真っ青な空、好天が続いている。金曜日は復活祭の2日前、受難の日(なぜか英語ではGood Friday)に犬の散歩に遠出してきた。学校が受難節の2週間休みになるため、家族でスキーに出払っている人が多く、住宅地に人影をみない。お店は聖日続きの復活祭中は会社、商店、スーパーもすべて休みである。散歩の途中でひねくり出した一首:
湖の凍りて一の雪の原 日返し眩き聖金曜日
●復活祭前後の祝日は6日ある
むかし、もう35年くらいまえのイースター直前前に当地に研究員として来られた神戸大学のS先生を空港で迎えて、宿舎へ案内する途中「明日からイースター休みで店は3、4日軒並み閉店になりますから、食料品の買いだめを今日中に済ませてください」と、そう言って途中のスーパーでとりあえず、鍋、湯沸かし、食パンとジャム、チーズ等をわたしが買って差し上げた。そうでもしないとこの先生は全然買う気がないので、わたしが無理に持たせたのである。
●S先生のこと
S先生は「そんな馬鹿なこと」と高を括っていたらしい。で翌日、なるほどあらゆる店が閉じている。当時のガソリンスタンドではミルクはあるが、食い物はなかった。これじゃ、ホテルで食べるしかない。間引き運転のバスに乗って町の中心部のホテルで、三日間、一日二食したという。来た早々あれには参ったとよくこぼしておられました。
この個人となられた先生は、私よりちょうど一回り上の男子である。15歳の時、戦争がおわり海軍に入り損ねたため、 シンニュウをつけて吉田山で海運経済を専攻された。経済学は文系だが、途中、理系教授に転身。文理両科を掛け持つ教授なんて ほかにも例があるのだろうか、ご本人は知らないということだった。
●台所に入らず料理をしない世代
この世代の日本男子は、台所を知らず料理をしない。大学は三食付きの下宿か三食付きの学生寮にはいるため、自炊をした経験がない。研究員として一年近く当地に滞在中は大学食堂で済ませておられたが、2週間ほど我家の離れに住まわれた。アンチョビの空き缶とウイスキー瓶が溜るので、アンチョビが好物ですかと呟いたら、「これをよく洗って醤油をかけるとサシミのようでサケの肴にいい、とのことだった。
しかしこんないい加減な食生活では栄養失調になる、と家内が心配して玄関に張り紙をする日が二日おきに続いた。曰く「夕食の残り物がありますから食べていってください」
離れへは我家の玄関横を通るので大学からの帰り、張り紙が あれば立ち寄って行かれた。まったく邪気がなく悠然とたべて行かれるので当方も気持ちがいい。「じゃ、帰ってアンチョビで一杯、君も来るか」なんて、よくお供して一杯頂いた。あのころの先生はもっぱら離れで一人、窓から見下ろす フィヨルド風景の詩を書いておられた。
●詩境
帰国された翌年に神戸で会ったとき、 眼鏡が頬に食い込むほど丸々と太っている容貌の変化に仰天しただが、自炊をしない先生はノルウェーでロクなものを食べていなかったのだな、やはり3度のめしと、仕事や学者仲間と毎夕の居酒屋巡りで生き返られたのだなと納得。
ムして先生、その後、詩のほうはいかがですか?
「なに、詩?書いとらん。ここではそんな境地になれん」
この先生の名は下條哲司(神戸大学大学院海事科学研究科教授、甲南大学情報工学部教授、70歳まで大阪産業大学経済学部教授)、平成21年11月、80才で亡くなられた。もっと生きていてほしかった。
なお、下條夫妻らと船旅した日記「沿岸クルージング」が2002年コラムの一冊目11月26日付http://homepage2.nifty.com/lite/hard_column/no_nippon181.html
から11回連続コラムにあります。(了)