安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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茂吉、ミュンヘン正月の歌
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( 2013年 1月 6日 日曜日


●斎藤茂吉歌集「遍歴」より
一昨日、家内はおもいたって昨日にオスロの娘宅へ、孫や家事の手伝いに出て行った。伴侶のわたしは近く歯医者の時間があり、十日から帰省するのでお供しない。この数日は独りである。

正月を大正時代に独りで過ごした留学生の想いはどうであったろう、本棚から斎藤茂吉の歌集「遍歴」をとりだし、大正13年(1924)元旦のところを開く。「ミュンヘン漫吟 其二」と題して一日から六日のあいだに次の歌が詠まれている。

(一日) 歐羅巴にわたりて第三回の新年を静かならしめ

湯たんぽを机の下に置きながらけふの午前をしづかに籠る

(二日) 街上に雪を掃除する人等居り急流のなかに忽ち雪棄つ

日本飯けふも食いたりおごりにはあらぬ倹約とこのごろおもふ

将棋さす心のいとまおのづから出(いで)し來しことを神に忝(かたじけ)なむ

(五日) 雪つもる南方墓地にシーボルトの子の墓たづねけふも吾(わが)ゆく

小惱の研究問題もいさぎよく放棄することに心さだめつ

(六日) 鼻のさきびりびりと痛くなるまでに寒きミュンヘンを友に告げむか

  納豆をつくるといひて夜も起きいる留學生の心ともしき


茂吉は政府派遣留学生としてミュンヘンの精神學教室、シュピールマイエル教授にし師事して小脳の研究に勤しんだ。この歌は43歳の正月である。以下わたしの感想です。

(一日)研究室であけくれる生活、新年くらいは「静かならしめ」たいだろう。それでも翌2日には新年の挨拶に教授を訪ねている。ドイツでは2日から平日通り勤務が時始まる。当地でもそうで、わたしは正月三が日は祭日として頑として出勤しなかったが、わからずやの上司がYou must come! と電話してきたこともあった。
留学生の間借り部屋には暖房がない。湯たんぽで籠る茂吉先生、読書か手紙書き、それとも論文だろうか。
(二日)異国で米の飯など贅沢という感じがするが、ご飯で自炊するのが結局一番安くあがるのですね。忙しく気ぜわしいと将棋どころではありません。やはり正月であればこそ、日本人の正月気分はどこの国にもない特有の霊気がある。「神に忝い」…精神医学者茂吉に示されてハっとした。

(五日)シーボルトの子といえば楠本イネだが、彼女は東京で亡くなり、墓はミュンヘンに無い筈だが? シーボルトが後に結婚したドイツ人との子であろうか。
茂吉は、渡欧留学にふたつの研究課題をもっていたが、一つは完成、もう一つの難渋した小脳の解剖研究は成果あがらず、意義に疑問を感じて年のはじめに中止を決断した。出口のないドロ沼に溺れる愚は犯すまい。

(六日)鼻先で水洟が凍るくらいの寒さがある。鼻腔の粘膜や毛は気候に適応するので、そのうち平気になるが、最初の冬は実際鼻に痛い。
納豆をつくる同朋留学生、たしかに羨し(とも)(羨ましい)である。当地でも30年前にはアジア食材はおろか、南の野菜や果物がなかった。そんな環境でも土地の野菜で漬け物やキムチをつくり、野原でゼンマイを採って料理する邦人がいたのである。羨ましかったですな。(了)






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