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諏訪根自子 ミ 静かに去る
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( 2012年 9月 28日 金曜日 )
●万感胸に迫る 諏訪根自子さんが亡くなっていたニュースを見落としていた。今年の3月まで生存されていたが、この25日にメディアに報じられていたのを、今日偶然にネットで知った瞬間、万感(ばんかん)胸に迫りました。実際に演奏を聴いたこともご本人を見たこともないのに、自分でもオカシイとおもいながらやはりエモーションが込み上げる。 わたしより6歳上の姉が、ヴァイオリンの諏訪根自子とテノールの藤原義江の大ファンで、いまおもうと両人はとびきりの美女美男でありました。わたしがクラシック音楽にのめり込んだのは高校2年のときだったが、中学生時代(50年代初期)に姉のSP、ハイフェッツやメニューヒン、カルーソやシャリアピン(特に「蚤の歌」)を聞くともなく耳に入っていたせいかもしれない。ああ、そのころわが家に「北欧の幻想」と題したSPがあり、グリークのピアノ協奏曲から出だしのサワリだけを両面に収めたSPがありました。ピアノはルービンスタインでした。 小生が画学生のころ、60年代には諏訪根自子さんはすでに演奏活動を止めていたので、ナマで聞いたことはないが、姉のSPにあった彼女の「ユーモレスク」は当時のヴァイオリン生徒の必修曲、ピアノ曲「エリーゼのために」とともに、近隣の子女の練習する音が通りに聞こえていた。今日では町内の騒音問題になりそうだが、当時はとてもいい雰囲気でした。 ●故人となった懐かしの演奏家たち ジュリエット・グレコのような巌本真理、遠藤周作を謹厳にしたような井口基成、江藤淳とそっくり兄弟の江藤俊哉、どこか高貴な安川加寿子、わが青春を豊かにして頂いた懐かしの演奏家を偲んでネットを巡ると皆々故人、伝説の人となられていた。当然と言えばそうだが、諏訪さんは今年3月まで存命だったのである。知らなかった。 波瀾万丈、数奇な運命に翻弄された欧州の青春をへて帰国、戦後の日本人を励ます活躍、結婚後まもなく表舞台からキッパリ去り、後年は隠棲されていたのである。知らなかった。万感胸に迫りました。 ●音楽は演奏者の体験と歴史 ドヴォルザクが米国滞在時代に作曲したインディアン・ラメントやバッハのシャコンヌは諏訪さんから日本で広がったといえる。お手本にした音楽生も多かっただろう。そのシャコンヌが入っているバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ・全6曲を、78-80年にかけて録音されたという。その録音は切り貼りのテープ編集ではなくて、ジカに通しの演奏そのものであったという……往昔の巨匠のように。音楽の真髄は演奏家の体験と歴史である。欧州にあって戦争に翻弄された波瀾万丈の青春時代、数奇な運命をバッハに托して自身のすべてを語った演奏であろう。きっとそうだ。(了)
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