安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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教師たちの自己保身術
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( 2012年 7月 15日 日曜日


●自己保身の本能
大津市の中2男子生徒がいじめのため自殺した問題で、どんないじめがあたか、どんなにこの生徒が助けを求めたか、明らかになるにつれ当該学校の教師や市教員のいいかげんさが炙られてきた。関係教師たちは自己保身への意見で談合し、複数による一生徒への愚弄暴力をいじめと認識しなかったと装う「けんか」や「遊びごっこ」にすりかえて大問題を矮小化し、それによって責任逃れの防御線をはるのである。

だいたいどこの校長もうちには問題がないと言うものである。汚点のない学校の校長を世間にそして市教員の心証をよくするのである。だから隠蔽できない生徒の自殺がおこると狼狽するものの、すでに「けんか」や「遊びごっこ」と校長、教師が合議した予防線を前置きに「認識がたりず一歩踏み込んだ対応がとれなかった」と誠実な謝罪を演じることができる。責任の重さを感じていませんな。

●教師を信じられない生徒のさまよう魂
それによって失われる生徒の心を考えた事はないのだろうか。先生を信頼も尊敬もできない生徒の魂は行きどころなく荒れ野をさまよう。痛ましいではないか。自己保身はだれにでも備わった本能であっても、教育の現場で児童生徒への責任を自己保身に転嫁する教師はとうてい許されない失格者である。

市教委もまた市政に問題を起こしたくないから問題化したくない。巡り巡って教育界全体がくさっているのである。検察が刑事事件として起訴しないかぎり関係教師たちへの処分はないだろう。検察の起訴ほど横暴な裁判はなくわたしの最も忌む方法であるが、いじめ問題の今後を考えるとぜひ調査していただきたいと願う。

●いじめに対処する教師−生徒−父兄の連帯
生徒と教師と父兄保護者の三者が連帯していじめに対処することがいじめ解決のキーである。このことは国際的に専門家の間で言われて久しい。だが、社会が多様化するにつれて、おまえとおれの違いばかりに人々の関心が向く。そのため連帯・ソリダリティーの絆は平和な日本社会にあってぼろぼろになってしまった。

余談だが筆者の中学時代の担任教師が空き巣に入られ、あるだけの背広を盗まれたとき、父兄が募金して背広ほかをプレゼントした。それはよいとして筆者の母は泥棒には犬がいちばん『犬を飼いなさい』とばかり我家にいた数匹の雑種一匹を、有無を言わさず先生のお宅に押し込んできたのである。この恩師はのち校長を経て市教委になられ、30数年前に逝去されたが生前お会いするたび「君のお母さんから犬置いてかれてなあ」と当時と晩年の父兄の有り様について感慨を述べられた。そういえばあの頃は父兄の授業参観や担任の家庭訪問は頻繁だったようにおもう。

この先生が校長として、その生徒であった私と同窓の体育会系教師が生徒指導担当として、二人である暴力中学校に派遣され、二人で全校の窓ガラスを割られる反抗に悩まされながら半年のあいだに見事学校暴力を排除再建されたた。地元の語り草である。そういうふつうのまじめな生徒のために暴力生徒と闘うガッツのある先生たちは見られなくなった。橋下大阪市長の教育改革にわたしは反対のコラムを書いていない。大部分賛成するからである。(了)






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