安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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ベルゲンの日本桜(4最終回)
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( 2012年 6月 20日 水曜日


●西行がわからない西洋人
種苗花屋さんの規模は北欧が人口比で最多、花を愛でる感性では世界の人後におちないノルウェー人であるが、さて彼らが、桜に寄せる日本人がもつ特別な思い入れがあるかといえば、それはない。国民的、国家的、延いては死生観におよぶ日本人の情感は理解の外であろう。

とはいえ、国民浪漫派が活躍した百数十年前に画家達はこぞって、フィヨルドの斜面に広がるリンゴ園の白い花をバックに民族衣装の女性を配した風景を描き、国民統合と独立の気運を盛り上げたいきさつがある。ちょうどイプセンが劇作で、グリークが音楽で、そして絵画でムンクが活躍した同時代、芸術が開化した百科撩乱の時代である。ノルウェー人はそういう下地があるから、ためしに西行の歌…
 ねがはくは花のもとにて春死なむ
   そのきさらぎの望月の頃
を講釈してみると、相手はキョトンとして途方にくれるばかりである。
たまにはじっと耳を傾け日本人と桜の特別な結びつきに理解を示す人もいるが、心から判ってもらえたわけではない。

●日本人とさくら
欧州にも自生の桜はある。しかしわが国のように古より歌や詩文、絵画に表現されることはなかった。欧州の美術館にはたして桜の絵が存在するのか、わたしは知らない。尤もサクランボなら民謡にも唄われ、欧州各地の美術館にはリンゴの花やプラムの花、八重桜と見紛うアーモンドの樹林を描いた絵があるけれども、すべて果実のある樹木で現世的なのだ。明らかに国民的な心情を托した絵ではあり得ない。

桜の名産地である中国やチベットでは、薪にしたり、邪魔になれば無頓着に切り倒してきたため、樹齢千年を越すような姥桜の大木は日本にしか存在しないだろう。
私たちと桜の関係は、それほど独特なのである。
奈良市で生まれ育った私は奈良公園の桜を見るともなく接してきた。学大付属中と奈良高校の校庭には桜があり、付中の校章は八重桜、校歌は「ふくらかに八重の桜」から始まる。無意識のうちに体がさくらに馴染んで、精神の一部に化していたのだろうか、故郷を誇る日常心に乏しい私ですら日本の桜は大好きである。そしていつのまにか
  しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ
    朝日にゝほふ山ざくら花
と自讃に記した本居宣長の歌が抵抗なく胸に沁みるようになっていた。(了)






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