安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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スーチーさんがやってきた
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( 2012年 6月 16日 土曜日


●スーチーさんに大歓迎
アウン・サン・スー・チーさんが欧米でどれくらい人気があるか、日本人にはよくわからないだろう。24年ぶりに欧州訪問が実現したスーチーさんは最初の地、ジュネーブで大歓迎をうけた。ここではILO国際労働機関で演説、ミャンマーへの投資を訴えた。一区切りごとに総立ちの拍手である。なにしろ失業率はおそらくスペイン以上、ギリシャさえも上まわるだろう。労働コストの安いミャンマーへ海外工場誘致を呼びかけた。

日本のビジネス界は経済制裁を加えていた欧米のスキを好機にビジネス会は軍事政権を認め、スーチーさんは煙たがられた。日本マスコミも経済界の意向をうけてスーチーさんなんて賞味切れのような扱いだった。おっとどっこい、民主化にカジを切った文民新政府誕生によって、スーチーさんの自宅軟禁が解かれ活動が全開した。

英国人の夫イギリスで亡くなった時(1999)にも行けなかった。あのころの軍事政権は90年総選挙で圧勝し、大統領になるはずのスーチーさんを拘束し政権委譲を拒絶した。スーチーさんへは出国を許すが帰国は保証しない。体のよい海外追放ですから夫の葬儀にも、ノーベル平和賞の授賞式にも出席出来なかった。代理に主人と息子がイギリスから来て授賞しました。ま、そういう非道な政権に中国が後ろ盾するのは常習であるが、経済界の要請に日本はミャンマーへの経済制裁に加わらなかった。

●世紀の偉人、マンデラとスーチー
ジュネーブのあと金曜日にオスロに到着、日曜日に21年前に果たせなかったノーベル平和賞受賞記念講演が行われる。スーチーさんが授賞して以来、平和賞受賞者は20人に上るが、指折り数えて何人思い出せるだろうか。平和賞委員会の古参でノーベル研究所署長のゲイル・ルンデスタッドは「デモクラシーと独立について、マンデラとスーチーは相並ぶ」評した。同感です。現実的でイデオロギーに染まらない考え方、旧軍事政権の中枢を裁判にかけろなんて言わないし、スーチーさんいわく「わたしはいま一介の新米議員です」は特に素晴らしい自己認識である。

歓迎ぶりも凄いが、当地の首相と記者会見や王様主催の大晩餐会、そのたびに一席話さなければならず、いや大変だ。ノーベル研究所前では、オスロ在住のミャンマー人が民俗衣装で待ち受けていて、車から降りたスーチーさん係官と一言二言の後、整理ナワの外にいる同胞へ歩み寄った。人柄を偲ばせるレスポンスである。それはそれとしてオスロにはミャンマー人がワンダといる。亡命者による自由ミャンマー放送という英語で世界に発信する組織があって、ノルウェー政府が資金援助しているほど。難民認定される国であることもあるが、国内の失業率があまりにも高いので仕事を求めて世界中に出ているからである。ちょうどチベットの亡命難民や経済難民のように、祖国のシンボルとなる人物、スーチーさんやダライ・ラマを崇め、訪問に歓喜するようすが相似ている。

欧州に住む日本人は首相が来ても喜びに至らず、天皇が訪問されても歓迎に日の丸もって出向く日本人は少数派である。よいとは言わないが、わが祖国の問題は深刻さの次元が異なるからだろう。

スーチーさんはオスロのあと当地ベルゲに来る。ベルゲン大学に付属するラフト賞を22年目に授賞するため。このラフト賞の受賞者が後にノーベル平和賞を授与されるジンクスがある。その後は万感胸に迫る第二の故郷イギリスへ。幸あれと願う
(了)






Pnorama Box制作委員会


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