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クルージング閑話(4)
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( 2012年 5月 1日 火曜日 )
● 那覇 4月18日
台湾は台北を見ないでわれら同室の3人は基隆を後にしたが、みなさん台北に行って世界一高いというビルに上ったりしておりました。女性組(わたしの妹でケイスケの母とその友達二人の3人組は、台北近くに公立の個人美術館を持つ有名な画家、なんでも日本と沖縄にいくつもアトリエを持つという画家の懇意だとかでその有名人のご案内で豪勢な半日を氏のオゴリで過ごしたそうです。 わたしら60元でカレーライスの道端食いだったのに、もう! さて翌18日は入国審査をして那覇港に着岸、市内に入ってまず感じることは当たり前ではありますがここは日本であること。つまり街が清潔でエチケットが守られているということです。ここでは台湾の街を歩いていて匂う下水臭がなく、交通ルールが守られている。台湾では花蓮のほか都市部ではモータバイクや車ののすばしこい走り方といったら、麗人の装いをした女性まで黒い排ガスマスクで顔を覆って通行人を邪魔扱いするのでした。だが那覇では安心、ゆっくりのケイスケ君も那覇では堂々と道路を横切れます。日頃は感じない「成熟した社会のありがたさ」とでも言いましょうか、知識とちがって一朝一日にはできない心の文化であります。 ●最高の案内、タクシー運転手Mr西富 那覇では「ガンガラー谷」へのツアーをわれら3人と3人の女組は、ミニバスでゆくことにした。やってきた個人タクシーの運転手が傑物。おかげでたいへん楽しい一日となりました。沖縄のことならホンネで教えてくれる博識なオジさん、顔のシワからお年寄りと想ったら、わたしより一回り若かった。運転手氏より若いのはケイスケ君だけだ。太陽と潮風に鍛えた顔のシワ、客を意に介しない忌憚のない話し振りは古老のようで、ガンガーラでは「無料で待ってやっから」と申される。帰りに絶景の海岸や、サンゴ礁と色とりどりの魚の群れをガラスの船底から見るボートに案内して貰ったり、運転手氏の一日仕事になった。バシっと当方のウンチクを否定する話し振りに反して、金銭に恬淡ないかにも古風な大和人の謙虚さを失わない人でした。西富(いりとみ)幸俊さんという人で個人タクシーの名前は3人の娘の頭文字をつけて「麻美亜タクシー」という。那覇を九人乗りの車で廻るならこの人が最上、ご推奨です。 氏の案内語録をひとつひとつ具体的に書き出してはキリがないけれど、ガンガラーの谷では数時間歩くので弁当買って、むこうで待ち時間に昼飯を済ますのがよい。途中安い弁当を卸しているいる店や、土地の人が買うモズクの天ぷら屋に寄ってくれたり、それがみな安くて旨いのである。泡盛のアテ料理は自分でするという酒好きの運転手氏は泡盛にかけては煩いらしく、さる古酒の銘柄ひとつに固執した。で、その皇室や沖縄サミット首長に献上したという古酒の廉価版(といってもひときわ高い)を買って帰ってから呑んだら天にも昇るノドゴシでありました。B級グルメの相棒は正気に還って味わっておりました。妹は教えられた食い物をどっさり市場で仕入れて店から二箱宅配で送っていたのでした。なかでも果実「アテモヤ」は70歳を超えて知る初めての味、なんと言えばよいか、生きていて良かったとさえ覚える。 森のアイスクリームと呼ばれるアテモヤ。沖縄でも収穫が少なく、一年中あるわけではない。下部が黒ずんできて爆ぜかけが食べごろ。サッカーボールより小さいが一個で十人分のデザートができます。 鍾乳洞が崩れてできたガンガーラの谷については写真だけ。この素晴らしい自然の造形はいくらでも解説書があり、行った人も多いので何であるかは省きます。 ガジュマルの森 入口 ●さて何を食おうかな 夕食の時間になった。相棒は沖縄の食べ歩きをさる小説家の書いた通り市場で食べるつもりだったのであるが、運転手に「それダメ」とばっさり、あるメニューは「沖縄名物だけど食って旨いもんじゃないヨ」とか、コセコセしたところでゼニ使って食べ歩くより「安くて旨い店教えてやっから」とのお達し。 でもとりあえず夜の市場を覗いていると、ここでやはり夕食するつもりか兄夫婦と友人たち6人の一行に出くわす。ベンチではしご食いは疲れるなと二の足を踏んでいた模様。さっそく西間さんおすすめの店に全員で行こうということになり、行ってみると予想に反して大きく立派な店だ。ちょうど14人が入る座敷が空いていたので全員どっこいしょと落ち着く。けっこうな沖縄料理を沢山食べて呑んで大いに盛り上がりました。しかも西間おじさんの言った通り驚くほど安かった。(続く)
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