安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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アナトリアに使徒パウロの足跡を訪ねる(最終回)
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( 2012年 4月 16日 月曜日


12日に帰省してすぐ14日から11日間のクルーズに出ておりました。クルーズ中は衛星通信によるインターネットが可能でしたが、日本語は読めても書けないPCばかりで長らくコラムを休みました。この衛星通信によるネットは公海上で使用され、接続料がバカ高い。160分で150ドルでした。北朝鮮のミサイルが落ちるあたりを航海するので大騒ぎを傍観出来るかもという下心でネットしていたのに発射2分以内に爆発して黄海にパラパラ落ちるとは、騙された気分であります。

このクルーズは神戸を出港して長崎に立寄り、華蓮−高雄−基隆に寄航、台湾を一周して沖縄の那覇、奄美大島を観光して神戸に帰るというクルーズ。オランダ・アメリカライン初の試みだそうで、大型クルーズ船が入る初めての港も多く、大変な歓迎ぶりでした。そりゃ華蓮に1300人の客(殆ど日本老人)が一度に押し寄せるのだから地元は喜びます。その話しもあるのでパウロの連続コラムを奈良の逗留先で書き足し、最終とします。

●続、3月24日
シリンセの田舎町からバスはエペソスの高い所にある聖ヨハネ教会の遺跡を訪ねます。使徒ヨハネがこの地で亡くなったとは断定できず疑わしいのですが、そこは「おらが国トルコ」の歴史事実として疑問の余地なく喧伝されている。廃墟は広く、復元図は豪壮である。

左:使徒ヨハネの墓、しかし亡がらも何も埋めれていない。右:左写真の手前の柱の後ろでみえない墓標です。


メザリの聖ヨハネ教会遺跡で説教するわがグループの伝道師。こう言う場所でヨハネの言葉をテーマに話すことは伝道師冥利に尽きるでしょう。たくさん賛美歌を斉唱しました。私はクリスチャンですが集会嫌いで、斯様なる野外集いはひたすらガマンです。


トルコ建国の父アタルチュクはトルコ人に絶対の存在、至る所に彼の像と巨大な国旗が掲げられている。アタルチュクの功罪を少しでも口にしたら袋だたきに遭う気配ですから注意。この像はクダサシを一望する高台にある。下写真はエーゲ海に面したクダサシ全景、このどこか海辺のホテルで3泊した。



アンタリアへの帰路は昨年と同じ行程、官民協力による絨毯工房即売場を見学今回はノルウェー語を話す案内人が出てきて熱弁を振るう。わたしら興味無し、翌のペルゲ行きも先回と同じ行程なのでパス。家内と市内までタクシー(安い)で出て、繁華街を歩き、スーパーでパンや果物、ビールやワインを買ってホテル前の公園でランチを食べる。スーパーではお釣りの多さに家内は売り子さんが間違ったにちがいない、返しに行こうという。明細を見ると合っていた。ホテルでの飲み物やバスで連れられてゆくトイレ兼土産物屋のボッタクリが実証された。やはりツアーは安いようで買い物は高く就くようになっている。

さてさいごのホテルは半年前オープンした30室しかないこじんまりとした最高級のフランス式ホテルモLaBoutiqueモ。室内のデザイン、コオーディネートが見事でオレたちこんなところに泊まったの生まれて初めて、しかもわれわれ夫婦はなぜか最上階の一番広い部屋をあてがわれたのでありました。ラッキーでした。写真は部屋から下を見下ろす眺め。ここは残念ながら二泊で帰途につく。(終り)






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