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河村発言に続け
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( 2012年 3月 8日 木曜日 )
●日本の言い分を聞かない中華思想
今日のコラムは、決定打を欠いた「スーパー・チューズデー」を棚あげして、河村名古屋市町の「南京虐殺は虚構」との発言とその余波について意見を述べる。『河村発言に続け』とは些か過激なタイトルであるが、この機会にこの件をもっと広く日本中で取り上げたら、国際的にNanjing Massacre, Rape of Nanjingと呼ばれて浸透している中国側にもとづく戦史をかなり覆すことができると思うからである。 ●国際世論は英文からつくられる NanjingMassacreについては現在まで多くの英文による書籍が出版されているが、反証する本が日本語ばかりで、英文本がない。英米の出版社は売れないから拒否する形而下の理由によることは、日本の出版事情とかわらない。 ネットで英文による反論を発信しておられる茂木弘道氏、最近では松村俊夫氏の米資料読み起こしがあり、その努力に頭が下がる。しかし、数知れない虐殺広宣の英文ネットに埋没する一滴なのが残念だ。 ●主張を遠慮するな 中国から公的な訪問を受ける市長さんがたが、できればレセプションで、たとえば「『南京虐殺について、民間人を含む多数が殺害された事実は否定しないが、みなさまのいう史実は誇張されているのではないか』などと日中友好に鑑み少々触れるても、礼を欠く挨拶ではないだろう。 河村市長の発言に対して居合わせた訪日団メンバーはコメントせず,笑顔でプレゼント交換をしたと報じられている。今後の訪日団はそうも行くまい、あの話しは持ち出さないと一札とるだろう。そいれならわざわざ論争するまでもない、了承してよし。また、あれは史実であると考察・信じる市長や知事や大臣はその自由に自説を述べればよい。それに市民が抗議するのも賛成するのも自由である。 ●後味の悪い私的経験 フィリピンで行われたキリスト教の会議で日本から参加した懇意の牧師は講演の冒頭、戦時中の日本軍の暴虐や慰安婦徴集を謝罪し「聴衆は拍手し、許してくれた」との帰国談であった。醜いお追従ではないか。歴史の禍根を司令官でもない日本の一市民が壇上から謝罪するなど、僭越行為である。 外交官は退職後に訪問した「南京大虐殺記念館」を出るとき、かんたんな漢文で遺憾の意を記帳したところ、覗き込んでいた中国人が「肩を叩いて握手を求めてきた」、実際にはみな親日的だとの意見であった。展示写真のトリミングやキャプションの欺瞞、また当時の状況と期間で30万人という規模の非現実性を、元外交官の知らざる処ではあるまいに。 ●僧侶の自虐的昇華 昨年暮れ、南京陥落の12月13日に、日本の僧侶30人が虐殺記念館での日中合同の法会(ほうえ)に「参拝」し禅宗と真宗の法要を勤めた。この「世界和平法会」と名付けられた催しは日本側の住職が発願して発足、昨年で9回目という。 ●子孫に禍を残すことなかれ そういう中国に都合のいい話しは矮小し、「戦後父が再訪した南京で歓迎された」という私的な想い出から始まった疑問が、中国で報道されるやたちまちエスカレートし、南京市は予定された日本のイベント中止や市の幹部(市長ではない)から交流停止、再開には謝罪を要求してきた。また河村市長が会談を申し入れた在京大使が「謝罪しないうちは会わない」と横柄である。 いまここで謝罪すれば子孫に禍根を残す。筆者は河村たかし市長の信を曲げず撤回しない態度に感銘を受ける一人である。後世に禍根を残してまで姉妹都市との文化交流が大事なのか、そうではあるまい。(了)
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