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コダックと武士の商法
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( 2012年 1月 20日 金曜日 )
●コダック破産法申請
イーストマン・コダック社は昨年夏から特許売却で破産を回避しようと試みたが、100を超えるデジタル特許は買い手がつかず、ついに19日、破産法11条を申請した。今後二年をめどにデジタル事業に再編を目指す。 コダカラー、コダクローム、黙っていても客がつく写真フィルムで1960年代まで世界を独占した企業、富士フィルムにシェアを奪われ、デジカメ時代に遅れ、ポラロイドや使い捨てカメの時代を最後に武士の商法は消える運命にあったといえよう。わたしの仕事部屋には、ポラロイドがふたつ、ひとつは蛇腹式接写用で小さな交換レンズが三つ、革のケース入りは棄て難く仕舞ってある。 ●コダック・フィルム全盛の頃 私的な昔話になりますが、大阪でデザイン稼業駆け出しの頃、プロカメラマンはカラー撮影にコダックしか使わなかった。スタジオ撮影が終ると、助手が阪田商会(坂田ラボ)へ電話、バイクで店員さんが受け取り、翌日現像を届けてくれる。フィルムを買うのも阪田商会でした。廉価な富士やさくらもあったが、カメラマンが沽券に関わると拒絶し、だいいちスポンサーが受けてくれない。コダックの威光はそれほど絶大だったのである。 ●「武士の商法」 当地にきた始め、目抜き通りの一等場所にコダックとドイツカメラの老舗、公共機関に納入するカメラ家さんがあった。ニコンとキャノンのカメラは扱っていたが、富士もさくらも店に置かない「武士の商法」である。80年代になると日本製を売っていた小さなカメラやさんが、現像や着付け1時間渡しで大繁盛、なかでも「Japan Photo」という店は全国チェーンを展開。そうこうしているうちに目抜き通りの老舗、コダックを戴く気位の高い写真店が洋装店になっていた。 ●富士に席巻された欧州 印刷業会の製版フィルムは既に70年代からコダックやデュポンを抑えて富士が席巻しており、大日本スクリーンが進出しているのに驚き、なんとかいう日本製の輪転機まであった。日本製品の欧州輸出が多すぎる非難をうけ、通産省は輸出自粛を企業に要請していたころである。71年、小生はベルゲン大学で当地の言語(外国人留学生のためのノルウェー語)を学んでいたが、とても気さくでフレンドリーなドイツの学生が小生のお国自慢に「日本はハイテクに血道を上げすぎる、輸出攻勢は控えてほしいね」とニッコり言った。胸にチクリと刺さって残る言葉、おしゃべり相手の身になってものを言え、ですね。 もっとも当時、欧州進出の商社マンや、企業の駐在さんは通産省の政策などおかまいなし、ただただ業績をあげるべく朝から晩まで売り込みに懸命なのでした。 さて、売らんかな得いまわりは下郎の商売、「武士の商法」のコダックが傾くのは自然の成りゆきだが、デジタル技術は特許の数が示すように棄てたものではない。ソフトウェアには定評がある。デジタル・グラフィックの分野にコダックの開発マインドが必ずや継承されるよう期待します。(了) 追記:1月20日から31日までオスロに滞在、コラムは休みがちに書くつもりです。
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