安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興

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ワンマン吉田茂の手抜かり
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( 2012年 1月 12日 木曜日



前回「明治維新と戦後改革は革命だった」の続きです。

●高坂正堯の未熟な吉田評価
吉田茂が大磯に引退した晩年、東京オリンピックの年に、高坂正堯の「宰相吉田茂」が出版された。若干30歳の京大の先生に、いかほどの歴史観を持ち得るのか。わたしは社会人になったばかりの世間知らずなもので、「いかほどの歴史観」などとむずかしく考えなかったが、クソ生意気なあんちゃんとの感想を抱いた。当時はお爺さんに見えた細川隆元や小汀利得(おばまとしえ)の白黒TV「時事放談」が人気でしたから、30の若造が生存中の吉田茂に歴史的評価をくだすのは僭越行為というのがわたしたち同年代の認識であったとおもう。

その後まもなく、本屋で立ち読み(いくら読んでも注意されない店があった)生硬い文章だが読みやすい。しかし誉め過ぎではないのか。吉田を継いだ岸や佐藤が学ぶべき偉いリーダーなのかしら。この本を買わなかった。「バカヤロー解散」や京都でカメラマンに水をかけた事件は、我々の世代ならみな覚えている。

●人を食った言辞 
国会答弁で「ただいまの質問にお答え致します。ワタクシは知らないのであります」。追求されて「知らない物は知らないのであります」と木で鼻をくくる答弁をくり返した。全面講和(中露が参加)を主張する東大総長南原繁を「曲学阿世の徒」と切り捨て、珍しい言葉を知った。「自衛隊は戦力なき軍隊であります」と、とぼけた答弁もあった。人をカッカさせる人を食ったような発言議事堂の中を、記者に囲まれ、羽織袴白足袋でスタスタ歩く赤ら顔の小柄な老人をよくTVで拝見したが、風格が有り風情があった。

MacArthur/GHQの要求に、窮乏する国状に鑑みノーはノーと拒否した剛胆な吉田首相によって戦後の繁栄をわれわれは享受できた評価に異存はない。平和憲法の年に靖国に参拝した。今生きていたら中国の反発をどこ吹く風と参拝するだろう。わたしは「臣 茂」の皇国史観を尊敬している。

●ワンマンゆえの詰めの甘さ
しかしそのような成果と愛すべき個性とは別に、憲法と自衛隊の問題、沖縄返還を弟子の佐藤栄作に託し、その道筋をつけたのは吉田茂である。ニッチもサッチもいかない沖縄の問題の根元は、返還時の日米取り決めにある。吉田首相は後の首相に手直しができると考えたのであろう。しかし憲法にしろ、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約にしろ、よき専門のアドヴァイザーを持とうとしなかったワンマン宰相のツメの甘い不完全さが、現在の日米苦境にあぶり出されている。

●吉田講和からの脱出
返還のニュースは小生が当地ノルウェーに移住した翌年に聞いた。当地の知り合いは「アメリカは親切で幸いだった」とのどかな言葉をかけてくれるが、ヌカ喜びできるステータスではない。複雑な心境に落ち込んだものだ。40年を経たいまも日米安保に全幅の信頼をおけない。新しい日米安保協定に改めるとよいのだが、日米ともに国力劣化、流動的な政情のなか、おちついて協議する環境はいつになるやら。

近頃、吉田首相の偉大さを語り、今の政治家とは雲泥の差と批判する不思議な評論を見かける。吉田自由党の時代に青年期を過ごした者はだまされないぞ。菅直人、鳩山由紀夫はともかく、ここ10年の首相はみなさん質がよいとおもう。悪いのは政権交代のテクニシャンと化した党人、議員である。(了)






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