安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興

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エジプト民政、望みなきにあらず
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( 2011年 11月 22日 火曜日



●内閣総辞職は軍の裁定待ち
エジプト内閣は4日続いたタヒール広場の軍政批判のデモに応えて総辞職を提案、暫定的に全権を掌握した軍事評議会は内閣総辞職を未だ認めていないが、抗議デモの発端は憲法起草委員会が示した軍の特権を基本原則にすえるトンデモ原則だった。軍に諾々として従った政府の背信責任は重い。

憲法が認める軍の特権とは、国会で決定する各省予算とは別枠で政府がタッチできない軍事予算を持つこと、また予定通り実施される(と思われる)28日の総選挙で選ばれる議会によって新しい憲法起草委員会に継承されるが、その任命権を軍が握ることなどである。

●エジプト国軍内に染み付いた無謬神話
民政移行の芽を摘みとる軍の動きに、ムバラクを落とした民衆が「こんなハズではなかった」と怒るのは遅すぎるくらい当然だ。民衆の敵は、ムバラク独裁から軍政にうつった。2月に手を出さなかった治安部隊は、装甲車を繰り出して催涙ガスやらこん棒で鎮圧、デモ隊は放火投石で応酬したため22人死亡、負傷者1500人(22日)を出した。

●民政移行は可能
もしこれ以上のエスカレートを見なければ、2012、あるいは2013年の大統領選挙によって軍評議会の暫定統治がおわり、民主国家エジプトの体制ができあがる。その希望がないこともない。反体制を進める主体がリビアのような「武器を持った野盗の群れ」ではなく、すくなくとも会話が可能な建国の魂をもつタイプである。またエジプト軍が国政に強権をふるったことが過去なかったことも、民政移行への道程を遵守するだろうとの私的予想を覆さない。

●軍人大統領の系譜
ナイルに位置するエジプトは、世界4大文明発祥地のひとつ、有史以来、周縁数々の王朝が支配しきた。王制を倒し、英仏と戦ってそのくびきを脱し独立した国である。指導したのはもちろん軍人のナセル、初代大統領である。スエズ運河の国有化を断行、アスワン・ハイダムを建設しアラブ世界の英雄となった1950年代後半のころ、子供だったわたしは「為せば成る 為さねば成らぬ何事も ナセルはアラブの大統領」という駄洒落を覚えている。

ナセルが急死すると軍の同僚で副大統領のサダトがアラブの盟主を継ぎ、サダトが暗殺されるやはりと軍出身の副大統領であったムバラクが継いで30年間の独裁を布いた。エジプトは王朝に代って戦後たった3人の元軍人で軍の最高司令官を兼職する国家元首が現在まで統治してきたのである。純粋なシビリアン・コントロールではなかった。

●言論の自由:あれば空気、なければ恐怖
自民党一党独裁が続いた戦後日本といえども20数人の首相がいて軍人は一人もいない。わが国には完全な発言の自由があって、最大の新聞、最大の労組、最大の教組は偏向の自由を、それと知らず謳歌して自らの暴力性を意識することがなかった。エジプトに言論の自由がないことなどおもいも及ばなかっただろう。

エジプト政局が緩慢に着実に進むか、衝突を繰り返すか、どちらにせよムバラク追放によってやっと言論の自由を掴んだカイロの市民は、後戻りできない遠くに来たといえる。(了)






Pnorama Box制作委員会


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