●主導権喪失、老後の親
六月なかばに拙著「宇宙庵吉村長慶」の出版で帰省していましたが、その前から娘家族の犬を預かっていた。南欧のセカンドハウスで夏を過ごすため3歳児と幼児をつれて行ってしまった。連れていけない犬は私たちに預ける習慣、当然と思われている。すでにワンちゃんは6月初めから我が家にいる。図体は大きいが、おとなしく聞き分けの良いラブラドールですが、夏場は毛が抜けるのでブラッシングと毎日朝晩の散歩が欠かせない。帰省中は家内が平らな池の周りを散歩させるためそこまで車で通っていた。
●暗い森が怖いわたし
森にいったり、住宅街に入ったりコースはその日のお天気次第。我が家は住宅地の一番高い端っこにあるので家の上は自然の木山である。北欧の夏は日が長いので夜の10時でも夕陽けの山の中を散策することができ、散歩の犬とでくわすことがあるが、夜中に森の中を歩いたり、ジョッギングするのがごく自然な風習の国ですから、びっくりするのはわわたしだけ、相手はこともなく「ハイ」あるいは「ハロー」と声をかけて通り過ぎるのであります。私はいつまでたってもギクッとする癖がなおらない。
これはつまり日本では小さい頃、林間学校で肝試しがあるように、恐ろしい化け物が現れる夜の昔話を聞かされたからだろうか。冬は日中から暗く、夜が明るい夏の国では怖い夜話が発展しなかった。
●の三つ子魂いつまでも
我が家の上は鬱蒼たる丘の森だが、この丘を越えるとまた住宅街がある。娘が小学生だった頃、その住宅街の友達の家から近道だというので秋の夜、月明かりをたよりに歩いて帰ってきた。怖くないのかと糾すとキョトンとしていた顔をまでもよく思い出すのは、私がこの歳になっても月明かりの夜の山を歩く勇気がないためであろう。:夕陽の明るい森ですら、散歩の人に会うとギクッとする。幼少の習いは一生つきまとう。
●可愛くもあり疲れる子守り
その後、先週は孫二人が我が家に来て、孫の世話が加わりました。先月末、孫たちはオスロへ空路帰りましたが、ワンちゃんは家内の車で届ける。素晴らしい気候のハルダンゲル高原を通り、テロ虐殺のあったウートイア島の陸側では、国道の車寄せにぎっしり駐車、望遠鏡で島を覗いておる。ケシカラン、よく見ると駐車の先は献花であふれていた。済みません恥じ入ります。途中で食事や休憩をとり、9時間後に娘宅に到着。休憩中、ワンちゃんは店前の日影に結わえておくだけ、伏せの姿勢で静かに待っている。レストランから出た時、水のお皿が置かれていた。この暑さに水もあげない持ち主メとおもわれたであろうか。
犬と孫の世話から解放され、家内は旅行に出たいと言いました。行く先はデンマーク、代わり映えしませんが、車であちこち20日ほど旅するのは気楽でよろしい。5,6か所のホテルを家内がぶじ予約を終えたもよう。