●死亡者数を訂正減少
ウトイア島乱射の死者68人、政府区爆破による死者8人に警察が訂正。島の方はまだ湖底を捜索中だが、100人近いと数えていた犠牲者が76人に減り朗報である。混乱のなか、警察の集計に誤りがあったといえ、20人も読み違えるとは……苦笑い。
日曜の全国ミサの中心は、爆風を免れたオス中央教会で国王夫妻、首相らが出席して厳かに追悼式が行われた。翌月曜日は犯人ブレイヴィクの法廷初審理が開かれ、8週間の独房勾留が決まった。この間は外部と遮断され、面会や差し入れが禁止、警察の事情聴取が行われる。
●状況は認知、テロは正当を主張
逮捕された22日は数時間の聴取、翌土曜日は弁護士の立ち会いで長時間の取り調べが行われた。日曜日は聴取も休日なので、月曜の出廷は元気。尤も本人は裁判所に着く前に市民の狙撃で殺されるとおもっていたらしい。
取り調べの模様は言葉少ない弁護士がメディアに話した断片から、爆破と虐殺の翌日にもかかわらず落ち着いた応答ぶり、罪悪感は感じていないらしい。要求が多いそうだ。これはあとでわかったことだが、何故テロに及んだかについて法定審理で説明(演説?)してもよい。審理には制服着用して出廷したい、などと注文をつけた。制服とはPCCTSのシンボルである十字を自己流にドクロに突き刺したマークと襟章や勲章をちりばめた軍服のこと。
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●閉鎖法廷
裁判長が被疑者に制服着用を禁じ、プレスと傍聴者を開廷前に閉め出すロック審理を決定したのは、もし殺戮行為の正統性を演説する事態になれば、審理に障害をきたす怖れがあるため。 |
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●マニフェストはパクリ
ブレイヴィクはイギリスでのPCCTS設立会合に行ったと彼のマニフェスト(犯行前にファイスブック交流先に送付した1500pのメッセージ、表題は2083 ミ A European Declaration of Independence)に書いた。このマニフェストPDFで7.7mbはいまでは世界中に伝播した多くのサイトから落とせるが胡散臭いのが多いので要注意です。
また、このマニフェストは実はパクリ、原典はUnabomber (university and airline bomber)として知られる米の数学者で1971nenn 大学と航空社郵便物ボンブ16コを送った犯人。16才でハーバード大学へ25歳でバークレーの助教授テッド・カチンスキーが書いたマニフェストである。一カ所、「左翼主義者」を「文化マルキスト」と言い換えているだけ、丸写しだ。原典作者と接触したこともない。それを検証した評論が特に米の紙上に昨日今日から出ている。さらにパクリのマニフェストを送ったdocument.noというサイトのフェイスブックにはブレイヴィクの書き込みが多く、編集者に著名人とのコンタクトがあるなどと秋波を送っている。しかしdocument.noの編集者は、現実生に乏しい空虚なアイデアに素性を疑い、関わりを避けた。
●何事も長続きしないブレイヴィク
「欧州テンプル騎士」と通称されるこのPCCTSという秘密組織をpccts.comにあたると、誌面は25日付けで閉じられ、We are in no way connected to the idiot in Norway. (我々はノルウェーのバカとまったく関わりなし)とあり、犠牲者の家族友人にお悔やみを述べている。ここでもブレイヴィクは歓迎されなかった。フリーメイソンの会員になったり、イスラム移民を規制する方向にある進歩党の党員になっても離党、どのグループにも長続きしない孤独な男である。天才的なカチンスキーは電気のない山中に籠り爆弾作りをした孤独で頭のいいサイコパスだった。比較すると、ブレイヴィクは孤独で凡庸な頭をドープ漬けにしたサイコパスといえる。(続く)