遅れておりました拙著「宇宙菴 吉村長慶」が漸く6月26日発売に漕ぎ着けました。コラムの「吉村長慶」連載は12回(5月8日)で一応終了しておりますが、この機会に高野山の長慶モノを番外にとりあげます。夏の涼しい高野山にお出かけの節はお見逃し無く。
明治29年、分家した吉村長慶は高野山に家墓を二カ所造営し、亡くなる数年前まで逐次、石碑や自像を建てました。ここでは昭和10年数え七二歳の石造物を紹介しよう。
●大神霊墓所
高野山金剛峰寺、「一の橋」から「奥の院」に至る奥の院参道のちょうど真ん中のあたり、「弁天坂」と呼ばれている下り坂の左側に長慶石造物の一群が並んでいる。貫に「宇宙門」と刻まれた、屈んで通る石の鳥居と高さ2.1mの「宇宙大神霊」と刻まれた石碑があるので、ここを『大神霊墓所』と名付けることにする。
●宇宙大神霊
この大きな石碑は明治四十四年建立、側面に「吉村長慶 宇宙之大秘密を自得 其年建立焉」と彫られている。宇宙教宣布の決意をした年である。裏面に辞世の句が変体仮名で刻む−「辞世 死は宇宙の大神霊に帰るもの 生まれるよりも永久に生きるなり 長慶」。その下に苔で変色して見えにくいが、三聖人に説法する長慶の図が浮き彫りされていた。
●立教碑
そのほか長慶累霊墓標や本家の累代墓標があるが、晩年の昭和10年に建立された「立教碑」が参道から見える。文字ばかりなので素通りしがちです。立ち止まって睨めっこしました。読み下し文にして記す−
「立教立教 宇宙の万象は真理に発し、真理即ち神にして太陽よ從り來たる。万象の活動は因果理法によ拠りて無常に變化、故に利益は己の心に在り、此の理を正覺するが即ち佛なり。万事に中心有りてなお猶國に元首有り、牢としてうごくべからず不可動。阿弥陀をぎょう行し大自在力をたい體し、大義聖道を歩む是れ人生なり。 吉村 紀 長慶」
記名にある紀ノ長慶とは連載のどこかで書いたように、長慶父系の先祖・紀家の出自を誇る長慶は「紀」の一字をしばしば記名に加えた。
台石の刻文は奈良市徳融寺の長慶像背面の刻文と似て、立教信義を後世に托す心境が名文で吐露されている。全文訓読は拙著をご覧あれ。
●長慶古希の像(立教碑背面)
参道から見る立教碑がなぜトンガリ頭なのか、背面には舟形光背に自像が彫ってある、と判る人は相当カンの良い人です。ま、長慶モノを見歩いたオタクなら即座に知る形ではあるが。
等身大の深いレリーフ像昭和10年建立だが自像は古希(昭和7年)の寿像と書かれている。右手に雲座の太陽象った珠を載せ、左手に帝国憲法を握っている。雲座の太陽は立教碑に記された「真理は即ち神にして太陽従り来たる」と照合する。光背の讃に「是に我が古希三寿像有り…」とあるのは、奥の院参道二つ目の長慶墓所にあるもう二体の古希寿像を指している。(次回に続く)