●ビンラデン一家の最後
Osama bin Laden(54)が5月2日、月曜日の早朝(ワシントン時間日曜の午後)殺された。米特殊部隊のヘリ2機と地上軍の急襲頭によりオサマの息子と二人の兄弟、オサマと就寝中だった伴侶の夫人の一人が死亡、娘と別のワイフは病院に運ばれた。オサマの遺体は直ちにヘリで運ばれ海葬、つまり重しを付けて海に棄てた、ということか。
9.11以来、アルカイダのイコンではあったが、現実的には各地で生起する小グル−プが横の連絡も希薄なままにアルカイダを名乗り、散発的なテロを繰り返したのであって、司令官としてのオサマはとっくに死んでいた。代行を務めたザワヒリも最近では無力。オサマ殺害によって、米は9.11に区切りをつけた。だからといって常に湧き出す反米アルカイダの脅威が減るわけでもないが、ワシントン、ニューヨークでのお祭り騒ぎは解らないことも無い。
●米の単独急襲、パキスタンには直前通告
それより、米とパキスタンの関係が基本的には相互不信のうえにムリヤリに拵えた同盟関係であったことが歴然とした、その意外性に唖然とする。
オサマたち家族が隠れ住んでいたのはイスラマバードから遠くない郊外住宅地といえるところ、緑と林の谷にあるマンション(大邸宅)あるいはヴィッラ(豪華別荘)だった。最も家族の住む2、3階は高い塀と有刺鉄線に囲まれ、どこからも内部は見えない。入口まで2カ所の検問ゲートがあり要塞作りである。こんなところで悠々生きるにはパキスタンの民間支援では不可能、パキスタンの秘密諜報部、軍の一部等政府から独自に行動する機関の庇護がなければできることではない。
●米パ相互不信は解消されるか
米軍は過去にオサマを追いつめ捕獲に向かったがもぬけの殻、そんな事が何度かあった。パキスタン側に通報者がいたからである。それで今回は軍事協力しているパキスタン側には内緒で、昨年夏からこの大邸宅を見張っていたという。WHは攻撃直前になってパキスタン側に知らせた。
以上は米側の見解だが、パキスタン側ではいくつも違った経緯の解説があり一定しないのでここは米の見解に立つと、捕らえず殺せNot Capture but killという命令、遺体は解剖もほどほどに海に投棄しアルカイダ支持者によって廟に祀られることを防ぐ措置は、いかにもアメリカの独断濃厚である。表面的には米パ首脳は正義が遂行したとして一致させているが、齟齬は明らか。今後、パキスタン国民の反米はより過激になるとみる。(了)