安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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釜石の「負けない」長老芸者
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〈 2011年 4月 7日 木曜日 )


●NYタイムズ4日の記事から
釜石市は30年かけて日本一の防波堤を作ったが、今回のツナミには無力だった。最後の現役芸者・伊藤艶子おばあちゃん(84)が助けにきたファンにオンブされて避難所に逃げ延びたことは新聞紙上でよく知られている。

三日前に読み、書こうと思いながら後回しにしていた“At Age 84, a City’s Last Geisha Defies Time and a 4th Tsunami” と題するNYタイムズ記事(4.4)がある。4度のツナミに生き延びた伊藤さんの長い生涯と,釜石盛衰の歴史をだぶらせて読み応えのあるストーリーになっています。

●鉄と魚の港町・釜石盛衰記
内容は、被災時の状況、祖母から聞いた1836年(天保7)三陸沖大津波のこと、1933年の大津波では母に負ぶされ高台に逃げたこと、14歳から芸妓見習いを始めたこと、ヤクザと関係のあった父が借金のカタに娘を売ったらしいという甥の証言、踊りの名手に成長し釜石No.1芸者であったこと、明治以来日本の近代化に意欲を担った製鉄工業町として、戦時中は米戦艦から徹底的に爆撃されたこと、戦後は新日本製鉄と網元のお歴々のお座敷で楼郭がにぎわったこと、バブル景気がはじけ、製鉄所は閉鎖(1898)漁業も排他的経済水域に規制され凋んでしまったこと、10万人いた人口は現在4万余り、高齢者が多い、といったストーリーである。

●執筆はNYタイムズの反日記者
日本と日本人を偏向自虐的に記すので毛嫌いされているNorimitsu.Onishi(大西哲光、NYT東京支局)の署名記事である。この人はカナダに移住した在日コリア出身、自称日系カナダ人。記事のソース提供者として別の日本人名が記載されているので、M r Onishiが聞き書きしたのだろう。日本人を侮蔑したような箇所は感じられない(読み手にもよるが)。一読お勧めします。

●その日は席に呼ばれて小唄「初陣」を舞う予定
伊藤さんは芸者さんが遊郭の酒席で唄う「釜石浜唄」の名手だったという。筆者はそういう席に出入りした経験はないが、高校時代,級友の家に遊びに行くとき、なら町にある遊郭をお昼に通ると三味線と唄/都々逸を練習する声が聞かれたものである。被災の日の夜、伊藤さんはいまは料亭として釜石に唯一残る幸楼に呼ばれて小唄「初陣」を舞うことになっていた。お稽古がおわり、出かけるため白足袋を掃いている所に地震がきた。ついでに足袋を英語でsplit-toe socks、うまい言い方を知る。

84歳にして初陣に馬を駆る若侍を舞い唄う、その心の若さよ。88歳の米寿には芸者一生の締めくくりとして舞台に立つ望みというファイトのある伊藤さん。老体の健気に省みて、わたしもシャキっとなければいかんとおもう。

●止水成功、東電トーザイ屋に拍手!
福島原発の汚染水漏洩がとまりました。結局ピットの壁を鉄板で囲んだのが一番聞いたようですが、先日コラムに応じて御喝采。しかしながら水漏れは止めれば別の所で漏れ出すもの。次は建屋のあちこちに溜っている汚染水を移す迅速な作業をよろしく。

ひとつ疑問:取水路開渠にシルトフェンスを垂らして放出される汚染水から放射線の拡散を防ぐという措置ですが、シルトフェンスとはいうなれば粘土状まで細かい粒子濾過する「濾布」との私見を前提に申します。一緒に排出される様々な屑や粒子から放射能が出ることは、汚染ほうれん草を洗えば放射能はかなり減るということで解りました。それでは何パーセントくらいがこのシルトフェンスで除去されるのでしょうか。劇的効果があるなら漁業関係者に朗報である。(了)

無用、東電に乞う 黙々と自力の限り尽くせむことを。(了)





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