安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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カイロ自由広場の17日間
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〈 2011年 2月 12日 土曜日 )


●歓喜の歌,アラビア版
金曜日、前夜のムバラク演説に落胆、辞任を迫る群衆が大統領宮殿に蝟集した。国軍の装甲車、銃砲で何重にも警護されているが、兵士への投石もない。この三日ばかりはムバラク派の殴り込みが国軍の取り締まりで影をひそめ、近年まれに見る無暴力大群衆デモであった。

ムバラクに少しでも独裁権力が残っていれば、放水,催涙ガスを用いただろうが、国軍の平静をみれば権力の所在はあきらか。夜になってカイロ中心の「自由広場」と呼ぶようになったタハリール広場で気勢を上げているとき、スレイマンが「ムバラク大統領が辞任を決断した」とスレイマンがTVで発表。この瞬間の広場はさながら歓喜の歌・アラビア版を思わせる。その後すぐ大統領宮殿からヘリコプターが発進、ムバラクが去ったと直感した宮殿前の群衆が歓喜した。公式報道によると紅海の別荘、Sharm el-Sheikhへ向かったとのことだが、カイロの空軍基地からサウジへ亡命したとの報道もある。スイスの銀行はムバラク口座を凍結。末路侘しき82歳、そう遠くない死期に一過性の名誉挽回はできるだろう。

●エジプト近代史の金字塔
1月25日、最初の大規模デモが行われてから2月11日の、ムバラク辞任までの17日間はエジプト近代史上ひと際高い金字塔である。ナセルのスエズ国有化とアスワン・ハイダム、国際社会の評価を受けたが国内の反発を招いたサダトの対イスラエル和平などが独裁権力側の業績であるのに比し、ムバラク辞任はエジプト民衆が初めて達成した金字塔である。

筆者は1月28日に「ムバラク独裁の終幕」を書いて以来、辞任は時間の問題と見てきた。故にその時を待つのみでよいのだが、その後のオバマ米の迷走とそれに振り回されたオピニオンの2転3転ぶりはどうだ、笑えるはなしではない。オバマが特使としてムバラク説得に派遣したのがウイズナー元エジプト大使。愚選、わたしゃオバマのオツムを疑いましたな。ムバラクに対話で翻意を促す大役は、亡くなったアフガン・パキスタン特使リチャード・ホルブロックでも不可能だが、彼なら詰め寄ることはできる。が、なんですか、ウイズナー? 案の定、フニャけた外交官はムバラクの言い分に賛成して、WHへ報告、クリントンもオバマも9月選挙までムバラクが大統領に止まり平穏な移行が望ましいと、定見のないこと甚だしい。しかし、米の勝手な干渉がエジプト国民を一段と怒らせたのは皮肉でした。

わたしの読みが当らなかったのはスレイマンとムスリム同朋団ほか野党との協議がエルバラダイの入れ知恵で実現しないだろうとの予想に反し、協議が持たれたこと。エルバラダイの影響力が皆無だったわけだ。勿論協議は決裂し、軍の最高評議会が暫定政権を担当する。そうなるとますますエルバラダイの出る幕はない。ノーベル賞は受賞者に前もって授賞承諾を確認電話をかける。エルバラダイは平和賞の授賞通知のある日、電話口で待機していた。エジプト大統領の夢は膨らむばかりの幸せボケさんである。

●先行き不透明とエジプト国軍
この先、どのような体制になるか、欧州と米からは、こぞって民主化を歓迎する談話がでているが、議会民主的な政党政治が始まるか、社会道徳と生活習慣にイスラム法を適用した地理的な民主形態か、議会のほぼ全票を牛耳るムバラクの与党が解体するであろう現時点では不透明、予想は禁物。だが、イランとは前政権を倒した経緯が違うから。ホメイニに始まる聖職者評議会が最高決定権を持つ政体、現ハメネイ+のような政体ではあり得ない。

ナセルは王権を倒すのに軍の将校を組織してクデターに成功した。そのナセルが病気で急死したため、軍人サダトが昇格し、軍をバックに独裁体制を確立した。そのサダトが将校に暗殺されると軍人ムバラクが昇格。この偉人気取りは軍をバックに就任以来厳戒令を解除せず独裁体制30年に君臨した。したがってエジプト軍のトップはキングメーカーの体質をもっている。而してエジプト軍は兵器と財政をサダト以来米に頼ってきた。エジプト国防相のタンウィは米軍幹部とツーカーの仲をウイキリークスが暴露したように、暫定移行時の米の影響力は無視できないややこしい事情があり先行き不透明だが、金字塔Bring down the dictatorの偉業に比べれば、その後の混乱は我慢できる。十二分に混乱するがよろしい。(了)





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