安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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クロアチア、めまぐるしく代わる覇者
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〈 2010年 9月 4日 土曜日 )


●世界情勢くそくらえの観光立国
キプロスは地中海の東端にある小さな島。大きさは東京都ぐらいだろうか、しかし人口約78万人だから土地はゆったり使える。といっても溶岩と石灰岩の島で1年340日が天気という半分砂漠のような島では自給出来る人口はこの程度が限度か。初めて銅鉱が大量に発見され全欧に輸出したのはここキプロスで、銅のことをコッパー(Copper)と呼ぶのはキプロスの金属という意味。このことは「夏の国内旅行、銅鉱山の町ローロス」のところでも書いたとおりです。勿論もうとっくに取り尽くして現在のキプロスではだいたい工業とよべる産業はない。それで公害がなく周囲の海がたいへんきれいなうえ、滅多に雨が降らないから観光産業で働く人が25%という観光立国である。

わたしたちがのんびり過ごしたビーチの先200キロでは、いまガザのハマス過激派が結集してイ・パ和平交渉を潰さんとイスラエルにテロを再開したが、リゾート地に左様な生臭い中東情勢は関係ない。この国は1万年の歴史があり、紀元前1000ねんごろにギリシャ各地から小アジア、キプロスへ移住がはじまり、この末裔が3000年後の現在、ギリシャ語を話すマジョリティーである。

●歴史を語ろう
小アジアの歴史は、西へ東へと勢力拡大を図る民族間の戦争の歴史であり、日本列島の中で信長、秀吉、家康らが争ったのとは規模がちがう。キプロスの盟主はフェニキア人、ペルシャ人、アッシリア人、エジプト人、マケドニアのアレキサンダー大王統治下にあったこともある。その後プトレミー、ローマ人、東ローマ帝国に併合され、ビザンチン帝国にかわってはじめて800年の長い時代を得た。実際はその間にも北アフリカ諸民族の侵攻と戦いつづけたのであるが、十字軍の遠征による英リチャード獅子王に一蹴され、リチャード王は征服したキプロス島をフランスの騎士ルシアンに売ってしまった。でその一族のフランク人が3000年支配するが、ヴェネツィアに征服され、これも1571年にオットマン・トルコに滅ぼされた。


19世紀の大英帝国は中国を赤児の如く蚕食したようにずる賢い。トルコからキプロスを年間9万ポンドで借り受ける契約を結び、実際の施政はイギリスが握ったうえ、エジプト植民化の戦略基地に代えてしまった。

1914年、第一世界大戦が始まるとトルコはドイツ、オーストリア側につき、イギリスと戦うことになった。英は当然キプロスを植民地にする。キプロスでは英語がスペインやイタリア、フランスなどよりはるかによく通じるワケはこのとき公式語に英語を加えたためである。


1105年建立されあた石組みのAsinou教会内部は壁面天井にビザンチン正教のフレスコ画が隙間無く聖書の物語や天国と地獄が描かれている。文盲が多かった時代、聖書は絵で語られた。画家はコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)から招いたという。内部は撮影禁止なのでお見せ出来ませんが、たいへんカラフルでした。40度ちかい暑さに観光客はみな日陰でいっぷく。
(つづく)





Pnorama Box制作委員会

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