●イスラエル元首相アリエル・シャロンAriel Shalon
2006年1月心臓発作で倒れ、意識が回復しないまま植物人間としてベッドで生かされている。4年7ヶ月もだ。チューブを抜く決定は世論がこわくてみんないやなのか、理由はわからないが弟とシャロン自身がカジノ建設を企画する実業家にワイロを要求したとして警察は捜査をいまも継続中。生存中だから捜査を打ち切りにできないですから。
シャロンが倒れた後、副首相から昇格代行したオルメトが選挙で再選され09年まで政権にいた。レバノン侵攻がおもわぬ長期戦になり作戦の失敗が敗因となって09年三月からリクードのネタニヤフが二回目の首相に返り咲いた。
ネタニヤフは、オバマに義理立てしてアッバスとワシントンでこの9月2日に缶詰和平交渉のテーブルにつく。会談にはエッジプトやサウジ、シリアなど関連国とEU米ロ国連の4註東和平4者協議の中東特使ブレア元首相も参加するらしい。
エルサレム帰属についてはイ・パ両国で分け合うことで合意は可能、あとのふたつ、1967年の占領前国境に戻せや、500万人のパレスチナ難民帰国は絶望的であることに変わりない。ガザのハマスは呼ばれていない。ま、招待しても来ないけれど、和平交渉はガザと西岸に政権が分かれたパレスチナがまず一枚岩になってからおこなうべきで、現況ではナンセンス。
和平直接交渉に呼び出した今回の顔合わせは、いわば開会式のようなもの、オバマのメンツをつぶさないようこれからしっかり協議しましょうという姿勢をアピールしておしまいだ。おもえばガザからイスラエル軍を撤退させ、和平の糸口にイニシアチブを取ったのはシャロンだった。
●ロッカビー上空パンナム爆破の主犯、アル・メグラヒal-Mefrahi
1988年12月クリスマスをニューヨークで迎える客を乗せてヒースローを離陸したパンナム103便がスジョットランドのロッカビー上空で爆発、民家をなぎ倒して炎上した。乗員乗客全員と住民11人を巻き添えに計270名が死亡。この事件の犯人がリビア政府の関係者だったことから、リビア政府つまりカダフィ大佐の仕業ということになっている。主犯とされるリビアの情報将校メグラヒは事件後13年たってハーグ国際刑事法廷で終身刑がきまり、スコットランドの刑務所にうつされていた。メグラヒは末期前立腺ガンで後三ヶ月の命と(ヤブ)医者に宣告され、スコットランド警察は当地で死なれてはこまるというのでメグラヒを恩赦し、リビアへ送り返した。イギリスの警察はイングランド、スコットランド、ウェールズとそれぞれ独立して機能する。スコットランド警察は時の首相ブラウンの承諾と、米へも通達したうえで恩赦したのである。このとき恩赦交渉にきていたのがカダフィの息子で、トリポリに凱旋した機上からメグラヒと一緒に出てきた男がそのカダフィ・ジュニアである。
一方でカダフィはロッカビー犠牲者の補償に応じ、ブレアがカダフィを訪問して石油開発で協力合意を得ていた、だからBPがリビアンオフショー油田の開発権を得たのはメキシコ湾でのBP油田の原油流出とは関係ないのだが、このメグラヒが英雄となり、カダフィの手厚い支援で元気に護衛付き大邸宅に暮らしているのを見ると、いまいましいわな。石油がらみの密約だ、BPは海底油田に手を出すなとか言いたくもなります。カダフィがメグラヒに差し向けたリビアの医者は、あと7年ぐらい生きられると言っておりますがな。
車椅子にリンゲルを手甲に打ち、マスクをしてゴホゴホ病気らしい姿だった男が、トリポリでは手にした杖を殆ど使わず歩いたではないか。この映像を見て当時、わたしはコラムでベストの治療を受けて長生きするだろうと書いた。
おなじことがチリの将軍大統領故ピノチェ(August Pinochet)、にも該当する。イギリスで逮捕されたが健康悪化で裁判はムリというので車椅子のピノチェを送還したら、元気に自分の足でタラップをおり、タラップ下で迎える側近にスタスタと握手して廻ったではないか。ヤブ医者め。チリでは結局チホショウを認めて無罪放免した。ここでもヤブ医者め。
もうひとり大物のフィデル・カストロがいるのですが、長くなるので次回に譲ります。