安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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夏休みの国内旅行(4)
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〈 2010年 8月 3日 火曜日 )


国内旅行記を書き終えておこう。ローロスへの途中、山羊の群れの次に数匹のムースに遭う。大きいです。車の屋根より高い。左ハンドル車は右側通行だから助手席のわたしはうまく撮れないので家内にカメラわたしたら、この人がモタモタしてあの長い顔が撮れていない。

後ろ姿で失礼。

ローロスは北緯62.6度くらいか、日本でいえば北海道のはるか北カムチャッカ半島をを超えてロシア大陸の果てだ。でも木々は緑に……冬はとても寒いけれど。ここは銅鉱の町としてできた歴史を持つ。1645年地下に洞の大鉱脈があることがわかり、ドイツの技師や国境に近いことからスウエーデンから労働者が押し寄せ大いに潤った。当時洞を含む鉱石から分銅を精錬する技術は化学的な精製方法が知られていなかった、おそろしいムダと環境破壊をやりながら人力を傾注したのですな。坑道は年中−5度、三池炭鉱などでは40度以上の暑さで、坑夫はフンドシ裸で掘っていた。女性もフンドシ裸で石炭を掘った

戦後GHQが男女裸で一緒に仕事をしちゃイカンってんで三池炭鉱に「坑婦」はいなくなったが、石炭と銅のちがいだろうか、ローロスの坑内はとても寒い。年中5度で湿度90%という。わたし念のためセーター持ってきてよかった。近辺に10以上ある鉱山のひとつ、上下に数キロ続く、なかに透明に澄み切った池があったり、迷路のごく一部が一日数回ガイドつきで見学出来るので見てきました。まだダイナマイトもないころどうやって掘り進むかというと、坑内で薪を焚き、壁と天井の岩を熱く焼く。すると岩に亀裂ができてイシノミ、ゲンノウで砕き落とせる。それを繰り返しで銅鉱石を採取する、だから一握りの銅を採るためにトロッコ2、3台分の薪を使う。薪作りに山の木々を切り倒し、ためにローロスから見渡す限りの山は禿げ山となった。煙出の縦坑があり、横坑から新鮮な空気が入るのでちょうどいいらしい。採った鉱石はローロスの製錬所に運ばれ、ここでまず焼いて硫黄分を燃やしてしまう。野焼きですから硫黄が夜空に燃え、亜硫酸ガスが町を被う昔の人はしかしよく働いた。環境とか労働条件などいっておられない当時の生活を目の当たり見ると、やはり頭がさがります。先達の苦労を忍び、敬虔になります。このやり方が1820年代まで続いたという。
ヨーロッパ中で互いに戦争盛んな頃だったのでローロスの銅は欧州各地に売られ、大半が大砲にばけたという。またNYの自由の女神像は、ここの銅ではないがノルウェー製の銅ですと博物館学芸員のガイドさんの説明でした。このガイドさんどなたか英語が必要な方はいらっしゃいますかと、オレの顔をチラとみ訪ねるが、ワタシ知らんぷり。

技術革新を経て300年ばかり活動した町ですが、1953年に廃業、いまは世界文化遺産の町してと歴史と観光が売りとなった。人気があるのかホテルが満員で、かといってこの年になると民宿みたいなところはキツイ。キャンセル待ちを頼んでおいて幸い二泊とれた。このあと南へ下りてオスロへ,11日目にベルゲンの我家に帰る。

坑道は支柱になる部分をを残して掘り進む


緑青(ロクショウ)が出ている部分


ローロスの立派な教会、鉄槌を合わせた鉱山シンボルと中にメスのよう不可解な記号。長らく改装工事中でコマツのショベルカーが働いていた。


100−200年まえの鉱山労働者の家並み、博物館の一部である。
(了)





Pnorama Box制作委員会

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