●佐保山普門院長慶寺
奈良市法蓮町にある長慶寺は名の通り吉村長慶さんが大正12年に建てた寺です。数え61歳のときでした。新興宗教の本部建物ではなくて、正式な寺を建てるには当時も制約が厳しく、無住の古寺を移転するかたちにして県知事の許可を受けることができた。ちょうどよい案配に家の宗派・融通念仏宗に属するという檀家もすくない無住寺が天理二階堂にあった。「徳称寺」という。
法蓮町には同宗の信徒が多かったが寺がなかった。で,長慶さんは徳称寺の本堂を佐保山に移転して、寺号を長慶寺と改めた。だって地所や建設費、諸々の資金、必要な寺の資産すべて長慶さん個人が賄ったのだから変更許可はすぐ下りたのですな。ただひとつ是非移転したかった大きな子安地蔵が二階堂檀家の猛反対で移転出来ず、コピーを造ってこれを準本尊とした。「長慶寺子抱き地蔵」と呼ばれ高さ2.7m. 長慶寺開山当時は目玉仏でした。
本尊は同宗350余りの末寺すべてが捧持する「十一尊仏天得如来絹絵」なのですが、昭和12年頃長慶さんはこれを本山に返納し、高さ2m余の浮き彫りの石碑に替えました。そのまま石に彫った天得如来像も造りましたが、本尊はヒゲをはやし、帝国憲法と如来道の巻き軸を持ち、賛が刻まれた。こういうことが出来る人間はタダモノではない。しかもこれを金色塗りにしたのですな。でも秘仏とし、余程の信者にしか拝ませてくれなかった。
なにしろ「王侯貴族が所望しても拝観許さず」と寺の内規に書いたくらいですから、実際に見た人は長慶生存中から皆無にちかい。辰巳旭さんという1970年頃まで現役で何年も長慶モノを各地に探して撮影した写真家(生存)ですら見せてもらえなかった。なんで私が入れるものですか。
ところが大仏殿の大砲石灯のように同じもの、この場合は鍍金していないだけでサイズも賛もウリふたつの長慶如来が別の所にあるのです。京都嵯峨二尊院の吉村家墓所にですね、覆いもなく置かれているのでした。ここは私的な場所だから滅多にフツー人は来ないからと子孫に示すつもりでOKしたのでしょう。今では紅葉観光と墓地拡張で猫も杓子も押し寄せるが、長慶さんの私的な意図を汲んでここには小さくアップしましょう。シッカリ見て、賛もウラの刻文も読みたい方はご自分で足をはこんでくださいまし。等身大の像です。
●長慶寺の山門はOK
長慶さんの没後昭和17年以来、長慶寺は閉山していますから何人も門内には入れませんが山門前の参道両側に結構たくさん置かれている。ここは自由に拝観できる。一条通りから長慶寺に向かって北へ入ると途中、教旨石(如来道を刻文)と差し指道標がある。石段を上って門前に来ると高麗形狛犬が一対、どちらも阿形だけですがよく見るとオスとメスのちがいがある。阿吽の仁王像ほか十数基の石標、石碑がある。みな石工・新谷信正のノミです。漢英両文の宗憲や、入門の資格、長慶寺の方針、制札などルビや仮名送りがついたものもあるが素養がなければ難しいかな。少し抜き書きしてみよう。
△ 信徒になるには40歳以下の大学出でに限る
△ 新たに信徒になる者は山主の知人三名の推薦が必要。
△ 夏は富山へ冬はローマにいるので留守
△ 用があるなら前日迄に文書で申し込むこと
△ 夕方からの御用は御断り、吠えずに噛み付く番犬がいて危険です。
△ 死人は入門不許。よって当寺は葬式を行わない。
△ 病人は病院へ遊びは公園へ信仰狂は脳病院へ
△ 死人の念仏寺や続々起こる教団の名前を二つ実名で入門拒否。
△ 念仏を唱える寺でも参る寺でもない。宗儀式以外は念仏を唱えず。
●収入ゼロで寺を運営、いつまでもつか
いや、すごいもんでね。長慶寺をオープンした当初は富裕な檀徒組織があり、珍しさもあってにぎわったが、昔は後ろは佐保山、前横は田圃や畑しかない辺鄙なところでもあり、徐々に人々の足が遠のく。そうすると長慶さんは一層気難しくなり、あほらしゅうてやっとられん……日中から山門を閉めるようになった。賽銭箱を置かない、葬式をしないから境内に信徒の墓を許さない。お盆に檀家回りもしないから収入がないですわ。ま、お金に心配のない人でしたが、ロハでするのは説法だけすから檀徒が離れて行った。長慶さんはキチンと得度して僧都となり、本山の法主より長慶寺住職に任命されたのですが、独立自尊、直言はあいかわらずです。同僚の住職さんたちを「念仏を唄えて念仏を行わないエセ坊主」とボロクソに批判して止めなかった。手に負えない傑物、わたしとてもマネできないだけに羨ましくおもう。
なお、消滅した「徳称寺」はその後跡地に同宗「養安寺」として立派に移転された本堂を再建(昭和4年)現在にいたる。そこへ行けば例の子安地蔵が見られます。
●植え込みに隠れた最晩年の長慶自像
世間の規格から大きく外れてしまった孤高の三尺将軍ははどうなるか。幸い長慶さんは根アカで、末路哀れを感じない奇豪の人であったので、八十歳で亡くなるまで石造りを続けています。長慶寺門前近くに如来道をきざんだ方形の花崗岩碑があります。ウラ側に晩年79歳の自像が彫ってあるのですが、植え込みに塞がれてどなたも気がつかない。ちゃんと両薪軸を持ち、生涯意気軒昂でブレない面構えで立っています。写真はまだ植え込みが茂っていなかった30数年前に写真家の辰巳氏が4X5版シートフィルムで撮影されたもの。
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長慶如来(京都嵯峨二尊院) |
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他界する1年前、79歳最後の自像 |
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