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吉村長慶(10)東大寺から春日大社へ
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〈 2010年 4月 15日 木曜日 )
●大砲付き(だった)石灯−左写真 ●現存する大砲石灯−中写真 長慶さんはもう一つ刻文は違うが同形の世界平和希求の八幡形大砲を石灯を作り、興福院の長慶墓所に置いたので、全体を見ることができる。 ●嵯峨太神宮 線刻−右上写真 ここから二月堂よこの手向山八幡宮へ『幣もとりあえず』参ります。社殿の左右に阿吽の狛犬一対がある。台座に大きく吉村長慶と彫られています。片方は立ち入り禁止だったかな、になっているが、狛犬は完成品を買ってきたもので新谷信正の彫りは台座の文字だけ。よって素通りしてもよろしい。そのまま境内を右(若草山の方)へ行き、千度石を見てさらに進むと茶店土産店にくる。茶店の前に昔は清らかな水が流れ飛沫を上げる滝があった。そう言う版画がある。今は枯れたその滝の傍らに「嵯峨大神宮」筋彫りがある。トンビ姿の長慶さんが天照大神を手のひらに掲げ、釈迦,基督,仏陀に開示する図である。刻文「嵯峨太神宮宇宙真神天示教体」とある。刻文を説明すと長くなるのでやめます。 ●手向山神社石標 手向山神社南出口に長慶奉納の石標がある。高さ244cmと大きく長慶の銘も大きい、刻文解説は略しまして、駆け足で春日大社へ向かいます。 ●ご神符石(しんぷいし−)左写真・表、右写真・裏 春日大社参詣は拝観料を払ってはいります。長慶奉納による「神符石」が、拝観通路出口に近い本殿の前庭、東回廊のすぐ脇にある。オフダといえば木か紙で神社の木や柱にくくり付けるが、これは庭石の『御符だ』である。立ち入り禁止につきウラ側は許可無く見られないが、三重の若草山と藤の花が線刻されているなかなか美しいものです。刻文とかは夏過ぎに出版予定の私の本でみてくださいまし。 ●諌鼓鶏石灯(かんこけいとうろう)−左 本殿を出て若宮にいきます。社殿の右、立ち入り禁止の柵内に天壌無窮と刻まれた「諌鼓鶏」石灯があり柵外からでも正面は十分見えます。火袋が太鼓、その上に鶏(尾の部分が割れ落ちた)が踞っている。中国の故事に「天子の施政を誡めようとする人民あらば、この太鼓を打ち鳴らして知らせよ」と朝廷の門においたことに由来する。で、天子の施政がよくて誰も太鼓を叩く者は現れず、鶏の遊び場になったという。それで太鼓の上に鶏がいる図は天下太平を意味するようになった。これも長慶流の平和灯である。類似の長慶奉納による諌鼓鶏石灯は、興福寺南円堂南斜面柵内(火袋鼓消失)−中、橿原神宮文華殿内庭南塀寄り−右、京都府岩清水八幡宮本殿右横−下左、京都平安神宮神苑内順路白虎池の手前右側柵内−下右にもあります。
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