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吉村長慶(6)反戦を訴える浮き彫り
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〈 2010年 3月 12日 金曜日 )
●釈迦と基督を呼び覚ます長慶 徳融寺
中門を入ると正面に衝立てのような石碑がみえる。愛らしいTシャツの大日如来座像ですが、これは次回にして、裏側のレリーフを見よう。解説の立て札に「世界二聖」」と記されている浮き彫りです。上部に黒煙をあげて海上をゆく汽船、下半分はトンビを着た長慶翁が、寝ている釈迦とキリスト(世界二聖)を揺り起こしている図である。長慶のセリフが彫られている。 普門来た来た 起きよ 今日 日本の昭和 長慶 戯刻 普門が来たよ、起きろ眼を覚ませ、惰眠をむさぼっている場合ではないぞ、いま昭和の日本はたいへんなのだ。戦争がはじまるぞ。 と、釈迦とキリストに檄をとばす長慶である。普門とは長慶の道号、あまねく広めるの意。大正十二年、得度して長慶寺を開基し、僧籍に入ってからこの号を好んで用いるようになった。なお法号は普門院宇宙菴・活門道大真教大居士と称す。 佐保川ベリの「三聖人浮き彫り」でもそうだが、仮名まじり口語体で彫られた文字は、長慶自身がが発することば。漢文の碑文は宣誓、声明に相当すると理解してよろしい。 左上部から二行に彫られた讚文の出典は部分的に中国古典にあるようだが漢詩の形式でもなし独特である。読み下しにするより七語調がいいだろう。 嘶軍馬即亡国 軍馬いななき 国ほろぶ 聞弦歌即亡家 弦歌を聞いて 家ほろぶ 筝音鐘響即亡身 筝音鐘響 身イほろぶ 冒頭の「軍馬いななきて国亡ぶ」は、馬が啼いたので敵に感づかれ、戦に敗れた故事に由来する。戦略なき戦争になれば国は亡ぶの意、意訳すると 「戦争がおこれば国家は亡ぶ 遊んで歌ってばかりじゃ家が潰れる どんちゃん騒ぎは身を滅ぼす」となろう。 ●反戦警醒を訴える碑 このモチーフで長慶が意図したメッセージは、この年第二次世界大戦がはじまり、日本が太平洋戦争に向かう政情不安な時局に至って、なお無反応な宗教会に覚睡をうながすこと。戦争に突入しかねない軍部の独走と、のんきな国民を憂える長慶の居ても立ってもおれない危機感がよくあらわれている。というのも、之を造ったのは長慶数え75歳のときで、実は大正期にもひとつ同じサイズで金色塗り造っていたのですが、やれ冒涜だ,何様と思ってるんだ!などと世評になるのがイヤで秘仏として長慶寺に隠しておいた。碑文は「普門きた 置きよ起きよ 今日 日本の大正」となっている。 このままでは日本はたいへんな事になる、もう待っておれない。というので碑文を「日本の昭和」に造り直して、昵懇の徳融寺に置かせてもらった。勇気いりますよ。官憲が目を光らせていて、軍部に反対しようものなら逮捕されて拷問だ。小林多喜二はそれで殺されました。だから長慶さんは、漢文の戯れ文にして、それとなく反戦したのですが、官憲に「亡国」の二字がひっかっかたのですな。解説の立て札に書かれたとおり長らく扉で閉じられてしまいました。長慶の警鐘むなしく四年後、日米開戦をむかえる。 上部のモチーフは算盤や米俵、槌や鍬などを載せた汽船である。なぜここで蒸汽船なのか、見る人は当然疑問におもうだろう。こたえは長慶の著作にしばしば言及されているように「これからの世界は通商貿易を拡大し、それが国民生活を豊かにし世界平和につながる。世界は軍拡競争をやめよ」との主張を石に彫らせた。長慶がいくつも造った開運大黒や当時の海運盛況を考え合わせるとうなずけるだろう。 汽船に積まれた米俵、鋤、鍬、ハンマー、ツルハシ、ソロバンはもちろん金運・海運・商売繁盛を意味し、船と俵は長慶大黒におなじみの構図である。波を蹴立てて走る汽船は世界を結ぶ交易、それによって築き上げてきた日本の経済力と豊かになった社会を表わし、その繁栄が戦争によって危機に瀕していると訴える。長慶は戦争がキライである。建て前で話すような平和論ではなく、商家がならぶ奈良まちで生まれ、商家で育った長慶にとって、戦争は受容できない愚行にほかならない。 次回は片面の「太陽と地球と三日月を配した如来座像」について。これは美しい、彫り師・新谷信正の傑作です。
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