安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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吉村長慶(5)長慶等身像
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〈 2010年 3月 11日 木曜日 )


●徳融寺の長慶像
今回から長慶プロデユーサの石造物を見てゆこう。固まってあるところは長慶寺を除くとやはり生家のちかく、御霊神社、十輪院、聖光寺、徳融寺をまわるのがいちばん。なかでも生家の菩提寺であった鳴川町の徳融寺は長慶が生前墓の第一号を建てた初期から、中飛んで晩年の特異な作品がある。「洋服を着た長慶等身像」と「大日如来/釈迦と基督を呼び覚ます長慶」を表裏に刻んだ石碑。二つとも一見の価値あり。同寺に外に計5点、うち4点は自由に拝見出来るが、まず背広ネクタイの長慶自像から:

ハッタと睨むヒゲの長慶翁

昭和14年(1939)、第二次世界大戦が勃発した数え77歳、喜寿の年につくった姿です。中門を入るとすぐ右に白壁をバックに立っておられます。右手に帝国憲法,左手に如来道の巻き軸を握り、舟形光背の台座に精悍な面構えで立っている。背面に漢文が刻まれているが、白壁を背に置かれているので見にくい。難しいし見ても判らないだろうからワタシが解説して進ゼル。
 我夙欲以如来道宣布諸世雖在外企畫奈何齢既七十有七
 病衰日加転感餘生不長乃刻我等身寿像胎中蔵頭髪
 聊欲留我影現世茲添金一封委之於當寺托
 以永代保管之事而至我遺教興法暫待之後日云爾
    維時昭和十四年春 無菴吉村長慶 

晩年弱ってきたせいか、碑文はどこか遺言めいている。現代口語に訳すと:「ほかにやりたい事もあったけれど如来道を広めるため努めてきた。しかし歳も七十七になれば病気衰えを感じますな。先も長くはない。だから、わが等身像を彫刻し、像の中に髪を埋めて現世の姿を留めておこうと思う。当寺に金一封を添えて末永くよろしく御願いする次第です。我が教えを遺し、法(仏法)を興さんとガンバってきたが後はどうなりますやら、では(死ぬ日がくるまで)しばらく待つとしよう。昭和十四年春 無菴 吉村長慶」

名前の頭書きは「宇宙菴」でなくて「無庵」。無心の人,無欲の人を意味し、喜寿の頃から後この号を用い、亡くなる前は「天慶」と称した。

長慶は造った自像や墓碑や供養塔に必ず生髮とかを埋めます。像の腹の所に丸いセメント蓋があるのがそれです。触っちゃいけません。

文中に<我等身像>とあるように実寸ですぞ。私は巻き尺で測りましたが有る人が台座に上って調べた。150にやっとだった。三尺将軍と呼ばれた所以である。次回は「大日如来/釈迦と基督を呼び覚ます長慶」です。





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