安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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噴き出したイラン反政府デモ
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〈 2009年 12月 29日 火曜日 )


●死んで皮を遺したアヤトラ・モンタリゼ
パーレビ国王を追い出したイラン革命の立役者にフセイン・アリ・モンタゼリというアヤトラがいた。大アヤトラ・ホメイニについては思い出す事も多いが、わたしモンタリゼなんて名前は聞いた覚えがない。この老人が死んだってそれがどうした?と思っていたら追悼デモが各地で起こり、初七日の二十七日はシーア派の最大宗教行事・アシュラの日と相俟ってイランが揺れた。アシュラとはいわば西洋のクリスマスに匹敵する聖祭日だが、不穏な事態が必ず起こる。数年前までバグダッドでは巡礼の群衆にスンニ派によるテロ事件が例年のように発生した。

●政府を揺るがす最初のデモ
反政府デモの群衆はムサビ元首相と最高権力者ハメネイを内部から批判していた故モンタリゼを都合良く反政府のシンボルに祭り上げて、政府を揺さぶるくらいの大デモになった。8人が死亡し,うち4人が射殺だったという。治安警察は催涙ガスとこん棒だけ、撃っていないと否定。しかしいつものように民兵組織バンジがピストルをもって紛れ込んでいるうえ、建物から狙撃もやる。日曜の犠牲者の中にムサビのオイがいたのでシンボルは3人になり、政府転覆が視野にはいるようになった。

デモ隊の攻撃目標はハメネイである。アフマディネジャドはやはりハメネイの手足に過ぎないということか。しかし改革派の指導者、ムサビや革命後初代の外相で「イラン自由運動」を主宰するエブラヒム・ヤツジなどを残らず逮捕した命令を出したのはアフマディネジャドだろう。

●携帯、ネットの威力
海外メディアはデモ取材を禁じられまったく近寄れないというのに、携帯カメラや手の中に入るヴィデオ映像が多量に海外送付され、反政府のネットも盛んである。こういう時代に原理主義的なイスラム政権は成り立つ基盤をうしなった。不正があったという先の大統領選から半年、とても次の大統領選挙まで現政権が続くとは思えない。イスラム圏は北朝鮮とは異なり地政学的に孤立できない。

●オバマの日和見が功を奏す
そう思えないもう一つの理由はオバマの日和見ではないだろうか。就任以来オバマはイランに対して具体的に悪さもしないし友好措置もしていない。イソップ物語の太陽と北風、また飴と鞭の政策のどちらも無いまことにレトリックのみの外交である。イランがIAEAとの交渉を中止してもオバマはその時だけ非難してあとは鳴かず飛ばずである。反米を煽って国内を治めるイラン政府はオバマには暖簾に腕押しのごとく、矛先が消えてしまった。その分、国内では経済的不満の火種が吹き出し、矛先が政府に向いたといえよう。(了)





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