-------- ----------------------------------
ヒモつき支援にノーと云ったパキスタン
------------------------------------------
〈 2009年 10月 12日 月曜日 )
● 軍はタリバンを駆逐出来るか
パキスタン軍の司令本部を襲撃して人質、事務系の軍人でない者も含む39人を盾に立て籠った事件が土曜日にあった。翌日曜日、例によって軍が暁の急襲で人質3人を失って解決して一件落着。 司令本部はイスラマバード南、ルワンピリディにある軍事産業も集まっている。ここの兵器会社も以前に爆破襲撃にあっているが、司令本部がやられる国軍がだらしないのか、襲撃する武装派が優秀なのか、首かしげるのであるが当事国はさぞたいへんだろう。 ● 核は安全 最初、鉄門の周辺で戦闘があり、国軍4人と武装派6人が死んで戦闘は終った...と発表した。そしたら中で5人が大勢の人質を押さえていることがわかって、やはり軍がダメだ。それでヨーロッパ外遊中のクリントンが部下に『核よカク、核はどうなってるの』と調査を命令した。あのザマじゃ心配でしょう。しかし政府機関、警察、軍事基地は攻撃されても所在地不明の分散された奥の院には届かない。安心してよろしい。案の定、日曜日はロンドンでミリバン外相と現れたクリントンは核をトーンダウンしました。 ● 第2のビンラーデン、ハキムラ・メスード 武装派はTTP、パキスタン・タリバン運動(TTPの頭文字は日本語と逆順)というご存知スワト谷一帯を本拠地にしているテロ組織だが、8月に米のドローンでリーダーのメスードが殺され、若い別人のハキムラ・メスードが後継者になった。この男は上背あり、若くてハンサム。こういう事件が数度続けば第二のビンラーデンになる素質がある。しばらく小康を保っていたが新リーダーは胎動ししはじめたようだ。金曜にはカーボンブを市場に置いて50人殺害した。 さて、日曜の人質奪取のあと、パキスタン政府首脳会合があった。この会議は煩雑に行われていて、メンバーはザルダリ大統領を中心にギラニ首相、キアニ司令官、クレシ外相、マリキ内相(国防警察大臣にあたる)、今回は特殊部隊のチーフも参加していたようだ。 ● 次は南ワジリスタンを総攻撃 なにが決まったかというと、やるやると言っていた南ワジリスタン総攻撃を実行することを決めた。どんな総攻撃かは軍に一任、というところがキアニ将軍の実力か。スワト総攻撃の結果が数百万の難民とその後の国内テロである。スワトはおかげかどうか、平穏を取り戻し難民キャンプはカラになった。同じことをもう一度やる。ということはパキスタン政府は対テロにエネルギーを使うあまり、国家の発展は望めないことになる。インドとハッキリさがつくだろう。 ● 躓いたエラー! ケリー・ルーガー支援法案 最後になりましたが、オドロキはケリー・ルーガー支援法案を留保決定の意向を示したこと。議会で留保を採決し、アメリカに修正を迫る展開になります。このニュースにわたしオバマのために頭を抱えてgaspしてあげましたな。オバマがぜひ通したいパキスタン政策として公約にあったのを民主党のジョン・ケリーと共和党のルーガーが超党派で作ってあげた法案だ。オバマが就任すぐの一月に提出された。今後5年間に毎年15億ドル援助しましょうと、ムシャラフが悔しがるような結構ずくめの法案でした。ところがパキスタンでは反対意見がでて、市民と野党のシャリフは反米で反対するのは決まったこと。返り咲きのチョ−ドリ最高裁判事が率先して反対していたものだから、またあの男のイチャモンかと、まさか政府が断れる状況ではなかろうとおもっていた。米議会は民主党がアフガン派兵に反対で動けないので、パキスタンへのこの法案は先月両院を通過し、いつでも支援開始になっていた。そこへザルダリ政府がうちは国会で議論しますが両院で留保を決めましょうと、そう言う結論をだした。 ● ヒモツキ支援 理由はフームそうだったかと、おもわせるアナがいっぱい仕掛けてった。まず核兵器の調達先を開示し米に透明にせよ、解体、配置転換なども明示せよ、米軍と共同作戦をおこなう。(現況は米軍の駐留はないが民間の請負BWがパキスタン国内にいる)軍は政治に関与するな。そういう趣旨が盛り込まれていた。チョウドリは主権侵害と、この人はいつも違憲、主権侵害、国家を従属下に置くと言ってきた。そういう面は確かにあるケリー・ルーガー支援法案である。 落としどころは、米が2、3の点に譲歩してザルダリが全面改訂適ったようにみせかけてサンキューと、来年になるだろう。 オバマが今年上げた成果はノーベル平和賞だけ、そんな年末になりそうだ。(了)
|