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奈良コボレ話(5)
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〈 2009年 7月 6日 月曜日 )
●興福寺、維新の前と後
なぜ興福寺はこんな酷い事態になってしまったのだろうか。常識で考えれば日本人のお墓は九十%各宗派の寺にあるわけで、檀家を持たないといえ法相宗大本山である。廃寺するなど異教の蛮族に占領でもされなければ日本では絶対にできない相談だ。既成仏教は維新の無謀な神祇制度復活に抵抗するエネルギーを失っていたといえよう。 ●パニックの誘因 ひとつの理由は公家の世襲である興福寺のトップは寺領という経済基盤があり、下行米を得てラクして暮らしてきたため、寺領を取り上げられては自分で食っていける自信がない。勝手に寺の什宝を私物化し、もちだして売り払ったのは彼らである。ただ家臣を養ってゆくためにタケノコ生活をせざるを得なかった大乗院門跡のような境遇に同情すべき点はある。サーバイバルのためとあらば、官弊になった神社に「お輿替え」するのに躊躇していられない。二つ目は春日神社という神道の聖地の経営権をにぎり、神主たちをアゴでつかってきた興福寺僧侶の後ろめたさが、パニックを惹きおこしたのだろう。春日の宮司が興福寺財産を管理あるいは処分できる法令ではないのに面妖なことだ。 下の二つの地図は維新前の興福寺伽藍の偉容、築地に囲まれた境内と現在の地図を対照して示す。グレーは共通する元境内のエリア、黒塗り部分は現存する建物を示す。尚、築地の外エリアに大乗院などの興福寺別院や末寺がある。 ●破滅を免れた東大寺 隣の東大寺は手向山八幡宮を支配していたが、法令にしたがってこじんまりしたこの神社を分離し、ことなきを得た。もちろん多門山野西にあった別当眉間寺のように廃寺処分されたり、失われた仏像、仏具、仏典などもすくなくないが、興福寺のようなカタストロフィーは免れた。そのかわり寺領を失い檀家のない東大寺のような大寺院は観光ブームが訪れる戦後まで財政低迷に苦しむことになる。いまはその反動か、寺社ビジネスは華美に映る。
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