安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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ゴーギャン、ゴッホの耳を切落とす
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〈 2009年 5月 6日 水曜日 )



●『ヴァン・ゴッホの耳:ポール・ゴーギャンと沈黙の協定』
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは親友ポール・ゴーギャンが別れるというので自虐的に耳を切った。ゴッホの耳切事件は長い間これがオフィシアルの定説となっていた。この定説を覆す本、上記の小見出しがタイトルの本が出版されたので話題を呼んでいる。死んでも親友を庇うゴッホと、かなりいい加減なゴーギャンの性格が良く出ている。〔注:自画像は鏡を見て描くため右耳に包帯しているが、実際にそがれたのは左耳〕

定説になってしまえばあっさり信じて疑わない習性になっていますが、考えてみると自分で耳をそぎ落とすなんて出来るでしょうか。あちこち突き刺して死に損なう人はいっぱいいるが、自分で耳をそぎ落とした人はゴッホ以外に聞いた事がない。

ゴーギャンがゴッホのたっての勧めで南仏アルルにきて同棲しはじめたが、ケンカばかりしていた。定説では代謝障害で精神不安定だったゴッホがゴーギャンと言い争いのあと発作的にカミソリで自分の左耳を切り落としたことになっている。1888年クリスマス前23日の出来事。ゴッホは出血する耳を布でしばり、切り取った耳を持って近くの売春宿へ行き、なじみのラケル(Rachel)に耳を差し出したところで気を失った。そのあと家に帰って血だらけになってベッドに横になったまま一夜を明かした。翌朝ラケルから事件を聞いたポリスが来たときには出血多量で死ぬところだった。病院に運ばれ、医師が「友達のゴーギャンに会いたいか」訊ねてくれたが、ゴーギャンは会わないと拒絶、パリへ旅立った。と、まあこんなふうになっている。

さて新説は、二人が争っているうちにゴーギャンが剣(つるぎ)でゴッホの右耳を切り落としたという。そのことをあらゆる資料、二人の態度や、書簡から導きだし、実証的に推論したのがこの新刊。いまはドイツ語だけですがすぐに日本語版がでるとおもう。著者は美術評論家ではなくてハンブルグ大学の歴史学者、Hans KaufmannとRita Widegansの共著による。なにしろ10年間の調査研究を経て出版にこぎつけた学術的ウラづけがありそうな本です。とても分厚いハードカバー、カウフマン先生はまったくジャーナリスチックな傾向がない。これはまじめにおつきあいすべき著作であるとお見受けした。


●現場で何が起こったか
二人の学者による新説は、ゴッホが友人のゴーギャンを庇って自分で切り落としたストーリーを作った。ほんとうは口論が烈しくなり、フェンシングの名手であるゴーギャンが剣で刎ねた、という主張。

この事実が表面化しなかったのは、二人のあいだに口外しない暗黙の了解(原題ではPakt des Scweigens沈黙の協定)があったからという。愛するゴーギャンを失いたくない一心で彼を起訴されないように守ったわけだ。

23日の夜は二人で近くの売春宿にでかけ、途中「もうお前とは金輪際さよならする」と言われて激昂したゴッホがゴーギャン殴りかかった。で、ゴーギャンは剣を抜いて立ち向かったところで耳がおちた。これが実際に起こった現場の状況だという。

著者は『場所は暗く、友達の耳を切った一振りは意図的なのか不慮の出来事なのかはわからない』 が、そのようにして事件がおこり、ゴーギャンは翌日アルルを離れ、二人は二度と顔をあわすことはなかった。

●長くなるので要点:
▽ゴッホが事件後ゴーギャンに出した手紙:「この件についてわたしは黙っている、君もそうするだろう」
▽一年後ゴーギャンが別の友人に出した手紙:「唇を閉じたあの男、彼に不平は言えない」
▽ゴッホが弟のテオに出した手紙:「ゴーガンがマシーンガンや拳銃の類いを持っていなくて幸運だった。自分は彼より力があり、パッションは強いのだから」
▽事件を証言したものはひとりもいない。定説の根拠は矛盾があり適切な証拠がない。
▽ゴーギャンはゴッホが自分で切ったとは言っていないし、事件の経緯を何も語っていない。
▽二人のその後の態度、事件への示唆が、両人とも真実を隠していることを示している。

一年半後、37歳のゴッホはピストル自殺を遂げ、ゴーギャンはタヒチへ移り住む。。(了)



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