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悲劇の英傑フジモリ
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〈 2009年 4月 8日 水曜日 )
●裁判は茶番劇
フジモリ元大統領に25年の禁固刑判決。80人の証人、法廷150回、期間15ヶ月のTV中継メガ公判が火曜日結審した。禁錮25年。求刑30年(max)に5年だけ引いた厳しい判決だ。わたしは10年くらいの判決であれば、すでに軟禁1年と「職権乱用」で2年服役中ですから4〜5年で釈放がありえると、今70歳で病気持ちですからそんな希望的観測をもっていた。 だが裁判長の判決言い渡しを聞いていると、このメガ裁判は民主的プロセスを喧伝するための茶番劇だったことがわかる。80人の証人のたった一人もフジモリが市民虐殺や誘拐を直接指示したと証言した者はいなかった。にもかかわらず「直接関与した事はあきらかだ」と判事3人が一致した。「はじめに判決にありき」、やらせだ。 ●経済と治安を回復した業績 フジモリは2期10年のあいだに経済破綻をきたしていたペルーに市場経済を導入、国有企業の民営化進めた。この荒治療にインフレなど弊害もあったが2期目には経済成長を軌道に乗せることができた。加えて左派のテロ、あちらではマオイスト(毛主義者)と呼び、ペルーを10年麻痺させてきた反乱テロ組織「シャイニング・パス」が有名。この反乱テロと戦うため政府は軍から「コリーナ」と呼ばれる特殊部隊を組織してテロ掃討にあたらせた。テロにはテロをもってせよ、いわゆる「汚い戦争」であるが反乱テロを粉砕したのも事実である。 フジモリらしい凄腕は、議会を解散させたり、リマ日本大使公邸人質救出の際には意表をつく大胆不敵な作戦を実行し成功させたたことで知られる。ま、北のロケット衛星実験で右往左往する今日の日本人には見られないタイプである。 ●裁判は減点法 しかし、裁判というのは減点法であって人生の貸借バランスではない。フジモリ政権があげた業績は考慮されない。しかもライバル政権下の南米裁判では所詮公平さを望めない。コリーナの蛮行、特に学生や米ビジネスマン、ジャーナリストの拉致は米人権団体のキャンペーンに火をつけ、米政府がフジモリ批判に加わった。フジモリ裁判を史上初の「人権犯罪」とよぶ所以です。 ●人権圧力を使い分けるアメリカ 欧州に伝わる報道コメントは米経由ですから当地でもフジモリは人権侵害の「極悪人」とおもわれていて、TVニュースは判決に喜ぶ側だけしていた。どうもアメリカは政治経済が絡むと人権外交を引っ込める。ペルーのガルシア現大統領はフジモリの地滑り勝利に破れ、閣僚ワイロ事件で失脚したフジモリのあと再び返り咲きした。チリに身をおいたフジモリをガルシアの引き渡し要請に、圧力をかけてペルーに送還させたのはアメリカだ。日本は恩人フジモリを守りきれなかった、というよりはコトを構える気概がまったくない。戦争するわけでなし、主張・苦情を大きな声で自由に言えないものか。 ●なぜ帰ったのかフジモリさん でもなぜフジモリさんは日本を去って再起をはかろうとしたのか、忸怩たる亡命生活を切り上げたい気持ちは理解できる。日本政府に迷惑をかけないようこっそり帰った心情もわかる。当人が歓呼の声で迎えられる期待を持っていた様子はあった。人間えらくなるほど自分のことには空気が読めなくなるらしいということか。とにかくフジモリさんの控訴に期待し、ケイコさんの活動に望みを託そう。(了) なお、裁判が始まった頃フジモリ関連でいくつかコラムを書いている。07年9月24、22、6月21、06年1月8、もっと古いのもあるとおもう。
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