安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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トルコ、欧化とムスリム帰属意識
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〈 2009年 2月 1日 日曜日 )


前回のダヴオス中東討論の続きです。

●トルコの父・ケマルの欧化政策
まずトルコ共和国の歴史を振り返ってみたい。トルコはスンニ・イスラムでありながら、近代史の概略を一瞥するかぎりでは国民に共通した民主的な基礎があったように見える。第一次世界大戦後、疲弊したオットマン帝国を破ってアタチュルク(トルコの父)となったムスターファ・ケマルは一党独裁者であったが、当時としては先行的な社会改革、政治改革、法改革を押し進めた。たとえばイスラムを国教とする条項を削除、アラビア語表記をローマ字綴りに変更、ターバン・トルコ帽を禁止,女性のヒジャブ(スカーフ)はOKだが推奨しない。など新民法はスイス民法をトルコ語に書き写したものである。トルコが西側に加わりたいという願望はこのケマルの欧化政策から既に始まっていた。トルコはシリアやヨルダンのようにクリスチャン人口が極端に少なく99.8%がムスリムである。にもかかわらずなぜ酒屋があり、バ−があるのか,余談ですがケマルが大酒飲みだったからというのがよく耳にする通説である。

●民主化に成功した政治形態
ともかく無思慮極まる改革、パルチザンの隊長が独裁国家を樹立すると、ふつうは全体主義、恐慌政治に至る。毛沢東、金日成、チトー、カストロ他いまでもアフリカに多い。だが、トルコの反乱指揮者が目指したのは国民のアイデンティティーを根こそぎにする欧化政策だった。漸次、民主的複数政党制度が成立し、ケマル死後、1950年の普通選挙で野党が勝利した。その政権がスムースに移行し、52年にNATO加盟国加わった。イスラム圏で最初にして今のところ最後である。文化的伝統を覆した欧化政策は根付いたように見え、西側を悦ばせた。こうして2005年、国民の80%が望んだEU加盟を申請したのだが……。

●民主化に寄与した軍の介入
反動はあった。その後繰り返されたクーデターと民政返還が、いわば大地震を消す群小地震の役割を担ったと考えられる。上から民主主義制度を適用させられた国家では小党が乱立、議会運営が混乱する。米から民主制度を作ってもらったイラクはどうか。昨日終わったばかりのイラク地方選挙、3度目にして初めての全部族が参加した地方選挙はおよそ400の政党から数百人が立候補をみた……そういうこと。さて、トルコでも小党乱立が続きしばしば政府が機能不全に陥った。61年からほぼ10年に一度、1997年まで計3度あったそのような混乱のとき、軍が介入した。但し,軍の政権掌握は武力をもってなしたのではなく、タイの王様が政治的混乱を終始するたび登場するに似て、軍部が暫定的に政権預かりを宣言、1年も居座らず、政党間協議が一段落すると民政に引き継いできた。軍の政治介入はお薦めできないメニューであるが、トルコの場合、軍・民ともども他のイスラム国家よりも民主的基盤が国民にあるのではと思う。まったくのお門違いではあるまい。

●復活する国民アイデンティティー
ケマルの民法改革にもどって、アラビア文字とローマ字はどちらも表音文字であり、書き換えは表意文字である日本語をローマ字表記(占領下、民政部が文部省に迫った)にするよりはるかに容易で実用上の問題もすくない。いまではすっかり定着し、公文書はもちろん新聞もすべてそうだ。ターバンとトルコ帽は民族衣装のほかに都会の男はつかわない。女性のヒジャブは殆ど姿を消していた。ギュル大統領が選出されたとき、常にヒジャブを着用する夫人が宗教的過激だと物議をかもした。それくらいだから表面的には改革成功とみえる。トルコ人はアラブ人に対して自分たちはヨーロッパ人だと胸を張る。だが欧州人が自分たちを欧州人と見てくれない事も知っている。表層的アイデンティティーですら悩ましいのである。いわんや国民的アイデンティティーへの不安が絶望的になったEU加盟によって広がり、西側への反撥とイスラムへの回帰はきっかけがあればいつでも表面化する状況になっていた。

●反イスラエル民族主義からナショナリズムへ
イスラエルの激しいガザ攻撃は、鬱積していたトルコ市民の「西側への反撥とイスラム回帰」を呼び覚ます格好なきっかけであった。5年前のトルコには少なかったパレスチナ支援デモが起こった。閉じていたムスリム帰属意識が解放され、イスタンブールの、アンカラの市民が反米・反イスラエル民族主義で団結したのである。

そこへ自国の首相が公開討論でイスラエルを論駁し憤然と席を立った劇的なシーンは、トルコ国民を驚喜させるにあまりある事件であった。アンカラ空港にエルドガン首相を迎え熱狂する人々をTVで見ながら、共和国建国から爾来80年間萬を持したナショナリズムの奔流を感じていた。歓迎デモの市民が「エルドガン、よくやった」と英雄視するだけではない。首相が「人殺しのやり方は知ってるおまえだ」とペレスに毒づいたなら、俺たちだって何でも言える。この民衆の発露は中東や西側へ対外的に向かうだけではない。解き放たれた市民のエネルギーは今後の矛先を高い失業、悪化する経済、望みなきEU加盟といった国内問題に向かうだろう。英雄エルドガンの日々は長くない。(続く)



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