安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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追悼、アンドルー・ワイエス(改訂)
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〈 2009年 1月 18日 日曜日 )


アメリカの画家Andrew Wyethが91才で亡くなった。

私の大好きなアメリカの画家はフレデリック・レミントン、ノーマン・ロックウェル、アンドルー・ワイエスの3人です。みんな故人になってしまった。

画学生の頃、グラフィック紙に紹介された単品に強烈な印象を持った画家たちである。これらアメリカの国民画家は日本に紹介された50年代に、当時の数少ないグラフィック雑誌に紹介され、おのずとイラストレーターのジャンルにくくられていた。わたしもそう言う目でみていた。純文学が大衆文学を見下すように当時の美術雑誌は上記3人をアメリカでも商業美術家と格下げしてあまり褒めなかった。けしからん。

ワイエスは「クリスチーナの世界」一点だけが誌面になんども出ていたので、この作品が日本では最も良く知られているとおもう。まずこの絵について、この草原に体を横たえ丘の家を見る女性がポリオであるとは当地に来てから買ったワイエスの画集で初めて知った。なるほど細く曲がった腕、指や肩は尋常ではない。イラスト紙などは表現のセンスを優先するので画題のシチュエーションについての解説がない。当時は編集者も知らなかったにちがいない。
Christimaユs World 1948 Christina Olson 1947

この絵「クリスチーナの世界」について、画家の言葉がその画集にあるある:「1948年、メイン州の夏の家でこれを描いたときは反応ゼロだった。日の目を見ない作品かなとおもったが、いまや(1960年代の終わり頃)週に一度はこの絵の女性が何をしているところなのかと訊ねる手紙が来る。実のところ特別なストーリなどありやしない。クリスチーナ・オルソンの家の2階の窓からクリスチーナが原っぱ(牧草地)で這っているのを見た。それで下に降りて道路から家のスケッチをしておいたのだが原っぱに下りて行ったのではない。私の記憶は物事よりもっとリアリティーがあるってことさ。クリスチーナを(画紙)に配置するのは最後にして、数か月ほど茶色の原っぱを描きながらクリスチーナにピンクのドレスがいいな、海岸でみかけるくすんで曲がったロブスターの色を、と考え続けていた。ついに勇気をだして『戸外で座っているところ描かせてもらえないかな』とクリスチーナの頼んで歪んだ手と腕を引いて(原っぱ)に出たのだが、ポーズをつけるのが辛くて結局は妻のベッツィーにポーズしてもらった。そうしてやっと草原にクリスチーナの姿をえがく段になり、これに数週間を費やした。クリスチーナの肩にピンクトーンを施して……あの色つけは我ながら衝撃的だった。」


クロスチーナをモデルにした絵は20年以上にわたって多数描かれた。前年に描かれたクリスチーナ(右)はすでに若くはない強靭なカントリーウーマンである。実際、有名になった左の作品はクリスチーナが海辺の家族墓地に行っての帰りであって、気がついたら家は遠く途方に暮れている少女……ではない。ワイエスが創造した世界である。

ワイエスのテンペラ画は全体に同色系でくすんでいる。そこにすこし違う色があるとくすんでいながら鮮やかに見える「遥かな雷音」。また光の陰影が天才的である。とても絵の題材にならないありふれた部屋の一角「groundhogg day,(土リスが地上に出てくるという2月2日、冬の終わりを告げる祝日)」 は冬の光を、半開きの窓に揺れるすり切れたレースのカーテン「海からの風」では見えない風を絵に描いた。陽だまりに目を細める老人アレックスでは冬の陽光を、朽ちた葉が積もった水たまりに張った氷がセピア写真のような「薄氷」は寒気そのものだ。
Distant Thunder
Groundhogg Day
Wind From The Sea
Alexander Chandler
Thin Ice
ワイエスは東部の田舎で個性のある隣人たちを数多く描いた。そのリアリズムに甘いところはない。秘密にしてきたヘルガのシリーズに画家の優しさが現れているが、女性の肌のデリケートな美はむしろ静物画のようである。
Snow Hill
ひとつ奇妙な絵がある。上の「雪の丘」はワイエスの住んだヴァージニアの風景でケルナーの丘である。モデルにされた隣人が(ワイエスおたくなら容易に名指しできるという)嬉々として季節外れな冬の最中に、一張羅を着て五月柱を周り踊っている。これはワイエスが死んだのでもうモデルにされなくてよかったと喜んでいるところだという。後年、ワイエスが有名になってから美しく描いてもらえなかったモデルの隣人から恨まれたのであろうか。五月祭りに加わるべきワイエスの紐が空いたままである。とまれ名画である。(了)

追記:この稿は後日、敷衍して書き改めました。書きっぱなしのわたしが珍しく推敲などしておもいを入れました。なお、16日の訃報から昨日はNYタイムズ他、ワイエスの評価をめぐって論議が盛んです。



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