安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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ハドソン川奇跡の生還
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〈 2009年 1月 17日 土曜日 )


● 着水前の動画が見たい
15日は所要でオスロへ日帰り、夜遅く空港バス終点まで家内が迎えに来てもらう。我が家は市内から空港と反対側の郊外なので夜遅くなると車で迎えにきてもらうと助かります。で、「今日ニューヨークで大変な飛行機事故があって全員奇跡的に助かった」ことを初めて知る。

家に帰るとTVはそのニュースをぶっ通しでやっておりますな。そのうちハドソン側にクラッシュ着水した映像が出てくるかな、と待っていたが静止画ばかり。着水地点は対岸がマンハッタンで、その向こうはセントラルパークですから、林立するビルからたくさんの人が見たはずだ。その中にはヴィデオカメラを向けた人もいたのではないかとおもう。9.11のシーンは異なる角度からヴィデオ映像がいくつかあります。でもいまだに着水後の動画しかないようでは誰も「そのとき」のヴィデオを撮り得なかったようだ。事故調査にはもちろん、わたしらまじめな野次馬といたしましては、残念だなあ。疲れもあり、飲んできたせいか通風の気配を感じて寝る。

●重なった幸運のクラッシュ着水
おそれながらメディア情報からシロウトの私感を申し上げます。エアバスは胴体がずんぐり胴幅があるので水上へのクラッシュ・ランディングに有利だ。そのことをパイロットのChesley Sullenberger, 愛称サレン氏(57)は沈着に計算したのではなかったか。

離陸してすぐ雁などの群れに突っ込み左エンジンが爆音をあげて不能になった状況は乗客の多くが語っている。カナダ・グースには東京のカラスの3倍ぐらいあるものがいます。もしあんなのを2匹ジェットに巻き込むと確実にエンジン不能になるわな。離陸一分後、機長の報告は両エンジンが鳥たちをヒットしたである。とにかく機長はすぐ離陸後2分ぐらいで近くの空港、Uターンが少なくてすむハドソン川西の「テイトボロ空港」へ向かうと、管制塔に報告し機首を向けた。だが空港へ向かわずハドソン川の上を平衡を保ちつつ急降下というか落下。空港滑走路に軟着陸できる状態ではないとの判断から咄嗟に機長は沈着にハドソン川を選んだ。すべては離陸してから5分の間のできごとである。

不運が重なって大事故に至り、奇跡的生還には幸運が重なるものです。ハドソン川をまず高いG、ワシントン橋を横に避け、シャトルするフェリーの場所をすぎてマニュアル通り後尾部から水平に着水できた。頭から突っ込んでいたら……想像するだにおそろしい。観光船のシーズンでなかったことも幸いした。両翼が浮いている間に近くのフェリーなど多数の舟がすぐさま救助にきた。

●パイロットの名人芸
そして幸運の白眉は機長の名人芸である。レジメを見ると40年のキャリアパイロット、ベトナム戦のファントム戦闘機乗り、指導教官ほか、何度も事故調査員を勤めている。またご自分で航空に関する「安全信頼メソッド社」というコンサルタント会社を兼業しているいわば、その道の権威である。全員救出されたか、最後に2度機内を見回って確かめてから脱出したヒーローぶりは、氏に取ってあたりまえの行動なのだろう。それにしてもウロタエル管制塔にハドソン川に降りる」と告げた氏の沈着ぶりは際立っている。飛行不能に陥った緊急着水操縦には複雑で多くの操作が要求される。それををやりながら副機長への指示、乗組員への指示、管制塔との連絡、乗客への説明案内を5分でやる人間がやはり存在したのですね。

「エ〜ット、そうですね」なんて悠長な喋り方を矯正せにゃいかんな、と軽率なわたし。

9.11にブッシュがいて、ハドソン川着水にサレンがいた。同夜、目を赤くしたブッシュのお別れスピーチを生で見ながら,この8年に感慨ひとしおであります。(了)



Pnorama Box制作委員会

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