安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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ドゥブロヴニク旅日記の(2)
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〈 2008年 10月 21日 火曜日 )


●10月16日(木)
ホテルの近く、岬の端から2時間で巡回する市内観光バスが出ていた。市内バスをホロ屋根に改造した観光バスで各座席にイアホンがついている。選択言語に日本語、ノルウェー語がある。中国語と韓国語がなく、スウェーデン語とデンマーク語がないというテリブルによくできた選択眼に拍手。歴史のある要港であり、ときの支配者から独立的地位を維持するため外交にたけた貴族政治の歴史が語られる。オスマントルコの支配下においては、年貢を納め、軍備を保持しないことで市の自由と独立性を守ったという。それで公共バス会社LIBERITTASをはじめ自由と名のつく看板がよく目につくわけだ。

山腹の展望スポットから旧市をデジカメの望遠で。

トゥジマン橋の反対側から宿泊ホテルと毎日泳ぐビーチにズーム。

午後3時に歯医者にゆく。実は3島巡りに行った日、ランチボックスのサンドイッチをぱくついたところ、前歯のブリッジが取れてしまった。応急にとりあえず接着してもらうためレセプションに頼んで予約してもらっておいた。中年の歯医者さんはよく英語ができ、持参の義歯を丁寧に補修してくっつけけてくれました。ノルウェーでは寝椅子に頭を低くして治療するため歯医者にラクだが、患者にはに噴射の水や唾液がパイプでは十分に吸い出せずのど元に溜まる。ときどきゴクッとのみこむ不快を我慢しなければならない。ドゥボルヴニクの歯医者さんは患者を座らせたままやってくれ、手つきも優しい。15分で50ユーロが高いのか安いのか、しかしベルゲンの掛かり付け歯医者さんの半分くらいですんだ。30年はもった義歯だ、ベルゲンで作り直してもらうとなると高くつくだろうな。小心者の心配の種は尽きることがない。家内と歯医者さんのあるレジャーボートの港のあたりを散歩し、ベンチで漫然と時を過ごす。


●18日(金)
朝から市内へ、市壁の外、崖の上に立つStローレンス要塞に上る。かなり登るので見学者は俄然すくない。シーズン中はハムレットなどの野外劇がここで上演されると宣伝されているが、オフ中はひっそりしていた。

St.ローレンス要塞。          要塞の隣に見える崖の民家

ここは市壁の上を歩くチケットに含まれているが、家内が忘れてきた。モギリのインテリ風おじさんに忘れた旨を言うと半額にしてくれました。さて、市の背後に400数十メートルの禿山があり、頂上にナポレオンが築いた砦があり、その下に大きな十字架が立っている。この十字架は観光バスで聞いた説明によると、1931年にキリスト教がこの地に伝わってから1900年記念して建立された。ン、ならばイエスが処刑され死んだ年にこの地に教会が建てられた計算になるが。パウロがこのダルマチア地方や、この港の古い呼び名・ラグーシにきたのはもっとあとではなかったか。など家内の疑問をこの要塞たった一人の管理人と見受ける切符きりのインテリ風おじさんに尋ねてみる。すると旧石器時代の居住跡から、ギリシャの影響、アラブの侵入を撃退したこと、ローマ帝国の治世下にけるキリスト教信仰の自由度、ヴェネチアの植民地政策とか、キリスト教国に至る宗教史を要領よく解説してくれ、あちこちに像があり立派な教会もある市の守護聖人ヴラホについてなお話がつづく。いろいろ収穫はあるが、どうも問いの答えになっていない。糾そうとすると家内がヤメナサイと日本語でピシリ。いつもこの人はわたしが喋る前に察して制する。再び旧市街に入って、お土産とすこし買い物してホテルに戻る。
 
大砲、左向こうに旧ドゥボルヴニクの市壁が見える。大砲の石弾

ウォーレン・バフェットが今が買い時だと、率いるB.ハサウェイ投資会社ではなく個人でG.サックスの株だか不良債権を買った由。左前になったあちこちの銀行株を買っていますね。10年後に丸損したって平気なひとだからできることでしょう。しかし>Fear when others are greedy, greed when others are fearful< でしたか「人が欲深いときは怖れよ、人が怖れるときは欲を出せ」という氏の格言は好きだな。元手があっても実行する勇気はありませんが。

●18日(土)
クロアチア最後の日、夕方6時にタクシーを注文しておいて、幸い天気も良いので一日海岸で過ごすことにする。今気がついたのですが、このビーチはホテル専用の所有でよく見るとそう書いてあるし、カフェテリアやビーチチェアの後片付けをしている人もホテルのマークがつたシャツを着ていた。今日は催し物があるらしく、大きなテントが立ち、海に向かって観客席が組み立てられている。リモコン・ヨットの国際大会があるとの由。テントでは参加者が組立と調節にあたっていた。帆にかならず国名を表す3文字がある。BRAとあるヨットを調整しているヘミングウェイのようなおじさんはブラジルのリモコン ヨット クラブの役員さんでこの道では知られた人だそうです。

リモコン・ヨットの競争   ブラジルからも参加

夜11時20分に小雨降るベルゲンに到着、寒い国に帰ってきた。家で飲む安物ワインがうまい。やはりクロアチアのホテルで飲み放題のワインはどうもいけませんな。でも10月のアドリア海にまた行きたいと思う。暑すぎずとても過ごしやすい気候。(了)

●土地の人から聞いた備忘録
○ クロアチアは歴史上一度も他国へ攻め入ったことはない。
(事実らしい)
○ セルビアは無防備のクロアチアを突然攻撃、ドゥブロヴニクを破壊した。許せない行為である。(ミロセヴィッチの大セルビア主義による民族浄化は糾弾してしかるべきですが、トゥジマンのナショナリズムによるクロアチア領内異教徒迫害が、先にありました。しかるにその辺は行きずりの会話では持ち出しにくい)
○ 現在のクロアチアはカトリック80%、プロテスタント10%、残りの10%はムスリム、仏教、ヒンズー、無神論者など。
○背後の禿げ山は山火事で全焼したため、戦争前は木々が生い茂っていたと いう。野うさぎほか野生のヤギやブタがいる。
○水源としては川が一本、今夏4ヶ月間雨が降らなかったが、植物は湿気と朝露で枯れない。(人口5万ですから足りるのか水道水はややカルキの臭 いがする)
○シーズン中の旧市街は身動きできないほど混雑する。しかも暑い。クルーザーがいくつか同時にはいった時など市壁内に入れず、入ったら出て来れない。満員バスのよう。(シニア夏の団体旅行は敬遠しましょう)



Pnorama Box制作委員会

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