安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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ドゥブロヴニク旅日記の(1)
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〈 2008年 10月 20日 月曜日 )


ホテル備え付けのPCでは日本語メールとサイトが読めず、持参のPCはホテルの中心棟で接続できるようになっているが、わたしだけうまく接続できない。ロビー周辺でノートブックを使っている若い連中のノートブックは自動的にIDとパスワードの画面が出る。わたしのは出ない、手伝ってもらったが駄目でした。この日本で買った工人社の小型パソコンはノルウェーのホテルでもわたしだけいつも接続できない。キカイがダメなのかわたしがバカなのか。依って更新できませんでした。

●10月11日(土)
バルカン半島アドリア海に面するドゥボルヴニクに夜の9時過ぎ到着。しかしベルゲンから直行で3時間、時間帯が同じなのでハラの空き具合から昼寝の眠気までいつも通りに快適です。空港で出発を待つ間にひと眠り、家内が隣にいるので寝過ごすことはない。安心してぐうぐう眠る。いつのまにかゲイトの待合室が満員になっていた、どうやらこの便はホリデーにゆくノルウェー人でフルになりそうだ・・・とおもったら言葉がちがう。クロアチア移民たちの里帰り、あるいはドゥボルヴニクから隣国のモンテネグロやボスニアへ帰省する人たちが半分はいるだろうか。きまって手荷物が多く、空港免税店の袋を持っている。

ドゥボルヴィニク空港着するとOh,空気が暖かい。この夜の9時でも19度ある。空港バスで21kmは市中へ、バス駅から西端にあるリゾートホテルまで19kmはタクシーで、代金はノルウェーの3分の1である。ホテルのディナータイムは終わっていたが、簡単な食事が用意してあり、家内と二人きりで食べる。部屋に入ってベランダから下にホテルのプール、海をまたぐ高架橋の夜景が美しい。この橋はフラニョ・トゥジマン(Franjo Tudjman初代クロアチア共和国大統領)の名がついている。


ベランダからの夜景。照明プール。海とトゥジマン橋

●12日(日)
朝食を済ませてさっそく市の中心へ行くバスに乗る。と、運転手がユーロはダメ、クロアチア通貨のクーナしか通用しいといってさがらない。先日の空港バスとタクシーはどちらもユーロでOKだった。案内書にもすべてユーロが使えるとかいてあったので押し問答していると、乗客の一人がやってきて立て替えましょうと払ってくれました。ユーロを渡してお釣はとんでもないと言い張る私たちに、キッチリお釣を紙に換算して律儀な夫妻でした。この夫妻と4人対面座席に座っていろいろ世間話をするうち、オーストラリアの退職夫妻でわれわれもおなじ境遇とて、意気投合というかぜひメルボルンへ来い、うちで泊って行けとアドレスを書いてくれる。お返しにフィヨルドの玄関口ベルゲンにおいでの節は我が家にどうぞ、とカードを渡す。とてもこんで、あの様子ではホンとに来るかもね。歓待しましょう。バスを降りると夫妻の旅行仲間のオーストラリア人も話しかけてきてどこそこがよいとか、バスの切符はキオスクで買えば3クーナ安いとか説明してくれる。帰りは6番のバスに乗れと付け加えてくれた。

市壁に囲まれた旧DUBROVNIKは世界遺産のなかでも特筆される中世の都市文化を体験できる市街である。Croatia, the Mediterranean as it once was と、マンドリンの調べに乗って流れるTVコマーシャルを何年も見続けてきた。同じ風景を歩くと感激より、なんだか約束をはたした気分がした。旧市街は中は自動車が原則禁止されているが、もともと細い道路と階段の多い都市国家は車には不向きで、大理石のメイン道路は人々の足でテカテカと光っている。要塞内の旧市街は小さなショップやレストランがぎっしり、教会や博物館などすべてが観光化されとても動きやすい。やたらと目につく東洋人観光客から日本語が聞こえてくる。広場のモニュメントの石周りには、歩き疲れたお年寄りの団体が、待ち合わせ場所なのだろう、腰かけて賑やかにおしゃべりに熱中。

早い目にホテルに帰り昼食。私たちは3食べ放題、昼と夕食はビール・ワインが飲み放題という宿泊タイプにしたので、できるだけホテルで食べるつもり。昼食の後プールの下にあるビーチへ。家内は真水より海で泳ぐのが好きだから。砂利のさほど長くない浜はコパカバーナという地名でした。シーズンオフなので人は多くない。ビーチチェアー:25kクーナと書いてあるがオフシーズンなのでは自由に使ってよいとのこと。寒さに強い家内はさっそく海に入る。風呂につかってるみたいにてなかなか上がらない。わたしもひと泳ぎ試すと、あら不思議、体が震えてこない。ここなら10月いっぱいは私でも泳げそう、毎日ひと泳ぎしようと思う。

海水浴が大好きな伴侶。  クルーザーや漁船、いろいろな船が沖を通る。 

夕食は温かい料理が多く、焼き魚が新鮮だ。このホテルはクラブ・ヴァラマールのチェーン店で、スポーツ施設と子供の遊園施設がよく整っている。近くにこのチェーンが経営するテニスコートがあり、15くらいの練習用と観客席がある競技用コートがあった。

夜CNNをつけるとジョージ・ソロスが対談していて金融クランチの話。今回の危機を予言していたソロスによると、発端はレーガン/サッチャーによる金融規制緩和。クリントン、ブッシュが踏襲し、その後十年くらいの間隔で2度バブル崩壊があったが、欧米各国政府の景気浮揚策で大事に至らなかった。しかし、景気のてこ入れだけでは回避できないスーパー金融危機が必ずやってくる。米住宅金融の破綻がそのスーパー崩壊であった……というもの。途中で寝てしまいましたが、要するに欧米政府による Super Bailoutが必要という趣旨でした。

●13日(月)
朝からビーチでひと泳ぎ。雲ひとつなく、日差しが強い。午後昼食のあとで一寝入りしてから町へ。ここからのバスはみな市の中心行きと思っていたらなんだか住宅地をグルグル回ってホテルから遠くない港で終点になったけれど。そこから市内行きのバスが出ていたので、よい観光になりました。無計画旅行の醍醐味、けがの功名です。夕食にワインをいつもより多く飲んだせいかきょうははや9時過ぎに眠る、目を覚ましてクルーグマンがノーベル経済賞を受賞したニュースを見る。NYタイムスに出る気の利いた文章、面白くてためになる氏のコラムの一読者として恐悦至極でありあす。クルーグマンはブッシュの経済政策を以前から非難していますね。するとこの受賞はオバマに利する材料になる。たしか、ヒラリーとオバマが競り合っていた頃、クルーグマンはオバマの医療政策を批判していたのだがもう過去の逸話か。マケインに有利な材料が来るとすれば、ロシアがグルジアに入った平和監視団と武力衝突を起こすとか、アイスランドにロシア潜水艦が寄港し、ロシアの水兵さんたちがレイキャヴィックを歩く事態であろう。だが可能性はゼロに近い。マケインに再びモメンタム(つき)が回ってくることはない。絶望的とおもう。

●14日(火)
朝からビーチでひと泳ぎ、昨日より長く海の中にいた。午後はホテル近くから2時間の観光バスが出るというので最終の15時に行くと、シーズンオフは13時が最終だという。では仕方がない、旧市街へ行って市壁の上を一周しよう。ぐるっと2km、大部分は二人がならんで歩け、広幅の場所もある。急な階段が多く、丸いタワーや、四角のタワー、衛兵のポスト、至る所に開けられた銃砲口など、外敵に対して難攻不落に見える。ここアドリア海西岸の港町は歴史的に支配者が入れ替わり立ち替わり、この要塞都市最後の戦いは1991年、セルビア軍の砲撃でこの要塞と内側の建物が激しく破壊された。それがユネスコの支援で元通り完全に近い姿で修復された。とにかく要塞都市の内外を上から眺める展望はすばらしい。

四壁一周2キロ、随所に急な石段がある。      大砲の筒穴から。

夜、夕食を済ませてからもう一度市内へ出て、ドゥブロヴニク交響楽団のコンサートへ。場所は要塞都市の北東角に接するにあるレヴェリオン要塞という石のホールで、座席以外は建物全てが石である。が、アーチ型天井が高いせか音響効果はこもらずいい塩梅だ。楽団母体の創設は1925年とある。人口5万でありながら82年の伝統をもつプロのオーケストラを持つ市はそう多くない。クロアチアはカトリックの地域、90%がキリスト教ですから奇異ではないが珍しいに違いない。プログラムはテレマンのフルート組曲とビバルディのオーボエ協奏曲、ソリストはどちらも女性、休憩の後、ベートーベンの2番をフルメンバーで演奏。指揮者はZvonimir Hacko(uUSA),名前からこの地出身らしい。いい雰囲気の楽団でした。

●15日(水)
一日で周遊するクルージングを探していたが、1泊2日であったり、短すぎたり決めかねてホテルの観光案内デスクで聞くと、すぐ下の海岸から9時半出発・午後4時半に帰る3島巡りがあるという。それぞれの島で自由時間がたっぷりあり、遠浅の砂浜があると聞いて家内がたちどころに決めた。30人乗りの小さな船、途中でワインを振る舞ってくれる。前日ホテルにランチボックスを頼んでおいた。3食付きなので、昼を弁当に変えることができる。

この観光ボートは島の岸すれすれに進路をとる、奇怪な石灰岩と松林の景色にあきない。また小舟だからこそ入れる洞穴があり、素通りしてゆく市内から出発する大・中型の観光船を尻目に、我々の小舟は洞穴の中へ入そろそろと入ってゆく。船頭のお兄さんはぶっきらぼうに島に着くと出航時間を告げるだけ、島の見どころとか、途中のガイド説明はいっさいしない。契約でもあるのか、どこそこのレストランがよいと云うのは忘れない。だからまず島の案内版を見たり、観光インフォのある島では15人ほど連れの乗客がぞろぞろ一緒する。ま、町並みはどこも小さく教会と廃墟を覗いたらあとはカフェーやベンチで漫然と時間を過ごす。本日も快晴、ゆったりと太陽がまわる。
遠浅のビーチで泳ぎ、ランチボックス(バケット、水、ジュースとみかん)を頬張る。このLopudという島には特に ホテルが多いようだ。昔から貴族の離宮、別荘地であったという。島々で別の船できたノルウェー人のシニアグループほか同郷人に出会うと、互いに挨拶程度は言葉をかわすが、北欧人は深入りしない。(続く)



Pnorama Box制作委員会

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