安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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都城秋穂氏と八木健三氏
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〈 2008年 7月 27日 日曜日 )


はからずも二人の地質学者の訃報に接し、わずかな想い出をたどる。

●都城秋穂氏死去 地質学者.(ニューヨーク州立大名誉教授)87才
22日、同州の森林公園(John Boyd Thacher State Park)へ写真撮影にでかけたまま行方不明になっていた都城教授が、24日遺体で見つかった。車の中で待っていた夫人が帰ってこない夫を案じて公園警察に連絡、捜索にあたった消防隊員が発見した。濃霧の中、崖から転落したようす。何の写真を撮ろうとされていたのか、もちろん地質学者が興味のある風景にちがいない。あるいは崖っぷちの岩石だろうか。

知己はないのだが、わたしが1971年、北海油田の開発が緒についたばかりのノルウェーでベルゲン大学が倍規模に拡大した地質研と地震研の科学イラストレーターとしてもぐりこんだとき、ミヤシロとクノの二つの名前をよく聞かされた。クノとは東大におれらた火山岩の久野久氏(19910-1969)のことで、ミヤシロとクノは一対で語られる日本が生んだ世界的な地質学者である。岩石学のミヤシロは物理的手法を用いた岩石の成分や物性を解明。当地の研究者たちがこれに倣って彼らがいうミヤシロ・ダイアグラムをせっせと作っていた。

その一人ニューヨーク大にしばらくいた、Pさんによると『ミヤシロ教授は朝から晩まで休みなく働く人。奥方が夕方食事を持って教授の研究室にこられ、食べおわると奥方を帰して夜中まで研究室にいる』という。ああいうワイフと生活スタイルをもつ研究者には負ける、と諦めと羨望のいりまじったタメイキをモらしていた。ミヤシロ氏はその後変成岩ベルト、プレートテクトニクスの分野でも良く引用される多くの論文を発表された。引退後は故国へ帰る海外生活者がおおいなかで、半生以上をニューヨークで過ごされた。励みになる先人である。

●八木健三氏,心不全のため死去(北大、東北大名誉教授)93才
キビキビした小柄な方で、30年ちかく前、信子奥様と一緒に我が家に一夜お泊まりいただいた。北大でオスロの太田昌秀(おおたよしひで)先生の先輩すじにあたる関係でベルゲンは私がケアするようにと承った。八木先生は中ぐらいのスケッチブックを片時も放さず、話しの相手をしながら鉛筆スケッチの上から淡彩で描き込まれる。早い筆だ。筆洗はインク壷のように小さく、手際良く布で拭って落ち着いた淡彩風景がたちまち仕上がる。

八木さんも出発はは岩石学、鉱物が専門でさいわい氏が監修された「鉱物」という書籍を持っていたのですが、『ああ。それ、』とつれない返事。執筆したのは「監修の言葉」一ページだけだそうで、もっぱら会長を努める北海道自然保護協会の活動に力点が移ったようでした。夕食は晩酌でゆっくりされる習慣らしく、サーモン肴にゆっくりビービールをたしなみ、ゴハンをなかなか召し上がらない。シャケは皮がうまいんだとおいしそうに平らげられた。こちらのしゃけはパリパリしない。厚くて脂が強く皮好きの日本人でも遠慮するのですが八木さんは違った。なにかの拍子に頭痛がどんなものか一度もなったことがないので知らない、と言われ、そんな人が存在するのかビックリショックでした。天性朗らかで楽しいひとらしい。

家の裏はすぐ山で散歩がてらにスキーするという。ベルゲンにこられたのも自然のフィヨルド探訪がお目当てでした。一緒に周遊切符を買いに行き、念のため敬老料金があるか尋ねると、あったのです。半額敬老になったので八木先生は大喜びされた。天真爛漫な方である。あの時から長生きされると思っていました。氏のように生きたいと思う。(了)



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