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秋葉原,殺人ゲーム
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〈 2008年 6月 10日 火曜日 )
●野放しの凶暴少年
秋葉原の無差別殺傷犯人は『殺すのは誰でもよかった』と、そりゃそうでしょう。殺したい相手がわかっていれば、場所は雑踏の中じゃ具合がわるい。直接のキッカケは勤め先で作業衣がなくなっていたのを、クビになるかと思い込んでキレた。仲間や上司と話すれば、ねじ込んだっていいからコミュニケーションがとれれば、自棄自暴から狂い殺しに走ることもない。 このコミュニケーションができない、家族とも周囲ともウマク行かない、それで暴力カルチャーのオタクになった人間の何割かが暴力犯罪をおこす。このグループからさらに大量無差別殺人者になる率はゼロに近い低さだろう。だが一度起これば、今回のような大惨事に至る。 ●世界共通の犯行者心理 昨年、米バージニア・テクの大学構内で起きた銃乱射事件の学生犯人、チョン・スンフィも精神的に,性格的におなじタイプだった。社会への憎悪が激しく友達がいない。それでも最もツナガリがある通っていた大学を乱射の場に選んでいる。加藤智大容疑者の最もツナガリが或る場所はゲームソフトの秋葉原せあり、ここを凶行場所に選んだのは自然なことだった。歩行者天国を歩行者地獄に一変するマイティー・智大を見よ、てな夢想に耽っていたのだろう。 米では凶行にはほとんど銃が使われ、バージニア・テクでは死者32人と多い。ま、そのため警官に銃殺されるか銃で自殺するのだが、通り魔・加藤はなんですかヘナヘナと腰を抜かして逮捕された。気の弱い男なんですね。向こうっ気が強ければ、職場で作業衣が見当たらなかったとき誰が盗んだか、オレに辞めて欲しいのかと上役に談判に行きますわな。それが出来ないから相手が見えないブログに書き込み、チョンはYou Tubeを利用した。社会に思い知らせてやる、メディアの話題を独占してやるというのも二人に共通している。そのほか、コロンバン高校の乱射事件は班員が二人でやった点が違うが、背景,犯行への経緯は似たり寄ったりである。 ●大人の事なかれ主義 わたしがオカシイと思うのは、いつもこういう事件が起こると関係者が「暴力を奮うとは考えられない、おとなしい子なのに」といった一歩はなれた感想を述べる。それはおかしい。なにか感じていたハズである。おとなたちの事なかれ主義が、ずるずると反社会的行動者を増長させている。心理カウンセラーや警察がいくら対応を練ってみたところで、効果は期待できない。畢竟、周りの人間が庇い助け合わないで専門家に何ができますか! ●マンガとゲームの穴の中で 加藤容疑者は高一のとき夜更かしを注意した祖母の首をナイフで刺し深傷を与えていたという。絶対に要注意の犯罪予備軍である。こういうキレやすい子はアンペアが低いのですぐショートする。アンペアつまり思考出力が低いので直情出力する。マンガやゲームは受動的に反応させてくれる個人的な遊びであり、再演が可能。人間を相手にするより、はるかにラクである。そしていつか生身の人と遊べない人間になってしまう。(了)
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