安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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ちかづく義母の日を前に
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〈 2008年 4月 24日 木曜日 )


ペンシルベニア予備選を投票締め切り前から、眠ったり、新聞を読んだり「ながら」でクリントンの勝利スピーチまで延々とつきあい(04時)、翌日仕事にならず。もうプライマリー中毒ですな。こういうSuper Enthusiast(オタク)がアメリカには多いが時間的に真夜中になるヨーロッパでつきあうオタクはそう多くないだろう。家内は容体の悪くなった母を介護ホームで夜通し診ているというのにわれながら情けない。

朝方帰ってきたが、もう9時過ぎには介護ホームから容体変化を知らされまたホームへ、家内の弟と妹に知らせてみなさん馳せ参じる。そういうことがこの3日ほど続いている。ホームでは夜3時間おきに母をチェックしているので、家族が付き添ってどうなるものではないが、とにか昼夜をとおして3人姉妹弟と、できたら家族が付き添う事にしている。

義理の母はもうすぐ97才になる。介護ホームは非常に大きいが20人ほどの小グループに分けられ、母の部屋は個室、応接セットやクロセット、身障者用トイレにシャワーが個室に付設し、しかも家から車で5分のところにあるので施設には満足している。

職員は入居者と同数ほどいるが、常駐医師はひとり、看護婦資格のものよりヘルパーが多く、特に土日や祭日・連休などは非常勤さんが多くなる。仕方がないことだが、「いつもあの子に来てもらってくれ」と母は聞き分けがない。快晴の3日前、これが外出できる最後になるかと母を弟の家でガーデンパーティーに運んできた。ほんの少しアイスクリームとケーキのクリームを口にし、ブランコ椅子で一寝入りしてからクリアーに少し会話できたのだが、もう座る姿勢ができない。天に召される日がゆっくり近づきつつある。

わたしは当地に移住して37年になり、死期の迫った実父母を病床に見舞いはしたが、父の死にめも母の死にめも見届けていない。そのことで兄弟のなかでチト後ろめたい負い目がないでもない。

わたしたちの子供が小さかった頃、共稼ぎに出ていたわれわれにかわってこの義理の母が二人の子供の世話をしてくれた。その息子と娘は成人し、私たち夫婦は67と 68の老後族に達した。一昨年まで一緒に旅行した母は、昨年は一泊の旅行もムリになり、みんなに来て欲しいという母の希望で、沢山の人に我が家に来て頂いた。とても満足したようで、介護ホームでも「ひとりづつ見舞いにこないでみんな一緒に来たらいい」などとおっしゃる。で、ある日、娘の赤ちゃんもつれて7人が一度に見舞いにきたのですが、翌日はケロっと忘れて『みんなできたらいいのに』と屈託がかったのだが……。もはや言葉が言葉に鳴らず、ゆっくり、いつとはなしに眠るように……大往生を祈る。(了)



Pnorama Box制作委員会

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