安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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米兵帰還は増派分の地上軍2万人のみ
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〈 2008年 4月 9日 水曜日 )


民主党ペンシルベニア予備選はあますところあと12日に迫ってきた。ヒラリーが10pリードしていたが、オバマがじわじわ追い上げ6pに縮まっている。ヒラリーはここで大勝することが条件であり、辛勝ではもう先がない。そんななかで8日、イラク公聴会が開かれた。次期大統領をめざす3人の上院議員、マケイン、ヒラリー、オバマがそれぞれ質問に立つ。この中の一人が来年アメリカのCommander in Chief としてホワイトハウス入りするのですから、おろそかに見過ごせません。

●上院軍事委員会でのイラク公聴会
よって、部分的なライブでしたが、3人の場面はライブでシッカリ拝見。午前中(WT時間)上院軍事委員会でまずペトレイアス司令官とクロカー大使がイラク情勢報告を行う。昨年増派した兵力を、9月の公聴会で約束したように7月中に2万人を帰還させる。追加の撤退8がつから45日ごとに様子を見て判断する。ということは08年の追加兵力削減はなく、14万の米軍が今年のクリスマスをイラク各地のキャンプで過ごすことになるだろう。生ぬるいようであるが、死亡者を半年ちょっとで激減させ、治安回復を実績で示した正装した司令官をまえに、ヒラリーもオバマも奇妙なほど紳士的である。この数年のイラク司令官公聴会では、ケネディやペロシが将軍をコッピどくとっちめ、時にエキサイトしたものでしたが、昨日の公聴会ではみなさん議論をさけ、持ち時間15分のして大半を持論の展開にとどめた。

●マケイン、ペトレイアスのイラク戦略を賞賛
上院の公聴会は年功序列によるシキタリが歴然とあり、シニアのマケインが2番目に意見を述べ質問する。さすがに100年でも駐留するとの物議をかもした比喩はこの席で口にしなかったが、オバマやクリントンが主張する早期撤退を批判して、「無責任であり、多国籍軍、国連、同盟アラブ諸国の団結を壊しイラクそのものが瓦解する」と警告した。ペトレイアス(以下PTR)が言うIt was fragile and is reversible「治安回復はひ弱で、逆戻りもありえる」との見解と一致し、二人はいわば同憂の志なのだ。増派の必要性についてはより先に言い出したマケインである。「なぜなら米兵が不要になるイラクを早く実現するため」と、PTRが泣いて嬉こぶようなことを言う。しかしながら、マケインは共和党の指名が確定してからすぐバグダッドへ飛び、マリキとも話し込んでおり、現場の事情に精通しているだけあって、同志と云えども作戦の失敗にお目こぼしをしない。たとえばバスラでの武装派討伐が不完全燃焼におわったこと:

●準備と計画に欠けたマリキのバラス掃討作戦
マリキはバスラ掃討を大成功と自賛するが、戦略の失敗はPTRも情勢報告で認めている。マケインはバスラの戦いでイラク兵100人が死亡、1000人が逃亡したことについて、「我々が学ぶべき教訓は何か」と糾す。このときのPTR証言でわかった事だが、あのイラク軍によるバスラ攻撃はPTRが自ら立案したSerge Planに即してマリキに「そろそろ貴軍が独り立ちしてやったらどうか」と進言したのですね。そうやっってブッシュと議会に情勢報告を出す前に好転をダメ押しするはずだったが……。ただイラク軍が戦略をよく米軍と相談・立案しないまま突撃し、ゲリラ戦に手こずった。援護しない方針だった空港警備の英軍がヘリと戦闘機で支援しなければならなかった。

バスラ空港を警備する4000人の英軍は今月1500人を帰還させる予定だったが、不可能になった。ブラウン英首相はかわりにアフガニスタンから同数の英軍を帰還させる措置で英野党キャメロンの攻撃を躱した。幸いアフガニスタンの穴埋めはサルコジが仏軍を増派してくれるのでよかったものの、バスラの英軍兵士にはいい迷惑だ。バスラのマヘディ+ギャングは形勢が悪くなると家に引き込むだけ、ほとんど無傷のままですから今後も隙を見ては出没する。あれはやはり失敗、まだまだイラク軍だけに治安をまかせられない。さらにマケインはバグダッドのグリーンゾーンに射ち込まれるロケット砲への対策についてもどうするか、イランの関わりについて糾した。PTRの証言はイランがシーア武装派に武器、財政、訓練を与えていることへのフラストが表情にあらわれている。そのイランは濃縮ウラン製造に600基の遠心分離機を設置すると発表したばかりだ。

●分裂したイラクのシーアとイラン
イランはシーアの国家であり、イラクのシーアと結びつきは国境を無視した歴史的繋がりがある。米軍侵攻時,サドル師の率いるマヘディ民兵の給料はイラン通貨で支払われていた。またシーア派最大の政党SICC「イラク・イスラム最高評議会」のハキム師もイランのアヤトラたちと親密である。最近になって自派の拡大と、サドル師の「ダアワ党」弱体化にイラン側と駆け引きするようになった。イラク最大のシーア派最高宗教指導ハキム師は、いわばイランのホメイニ師にあたる立ち場にありながら、従来は自らの権威を政治に使用せず利用されることを拒否してきた。それがここへきてマリキと協調するようになったのはなぜか。ハキム師は政治に芽生える環境が整ったと考えたかもしれない:

●マリキ=サドル連合からマリキ=ハキム連合へ
マリキはサドル派「ダアワ党」の後押しがあったればこそ首相になったのだが、サドルのマヘディ軍がスンニ報復テロを繰り返し。米軍と共同でこれを阻止・追討することを余儀なくされた。サドルは寝返ったマリキ政府与党から離脱し、自閉的に孤立したため食いはぐれたマヘディ民兵は拉致や強盗を生業とするようになった。シーアの内部混乱、内ゲバである。したがってマリキ政府がロクに機能しなくなっていた。ここでマリキとハキムの思惑が一致し、サドル民兵討伐に乗り出したというのがイラク・ウオッチャーの見方であり私もそう思う。アメリカは共和党も民主党もマリキがだらしないと叱咤するが、内情を考慮すればマリキ首相の指導力は驚異的に良く踏みとどまっているのではないいか。

●治安回復のきっかけを作った増派
そして皮肉にもシーア内紛が泥沼化したこの頃、昨年9月頃から治安状態が目に見えてよくなっっているのです。理由の一つは、シーア・ミリタント(武装派)の組織的な米軍攻撃が減り、散発的なカーボンブ、自爆テロに移った事。二つ目は、路肩ボンブや米軍隊列へのロケット砲で米軍を悩ませていたスンニ武装派が、反アルカイダで米軍と協力するようになったことである。この二つ目が治安回復の最大要因であって、2万人の増派オペラーションSergeの成果とするのに小生は同意しない。きっかけとなるボタンを押した意義は認めるが。

シーア武装派を支援するイランの分子が政府関与か、イラン革命軍の一部が関与しているのか、はたまた反米闘争の民間組織であるのか、いづれにせよルーズな分子なので米諜報機関は良く掴めていないようだ。一方、マリキはアフマディネジャドと交互訪問し、ハメネイとも抱き合う仲になった。イラン政府の支持を得た自信はおおきい。PTRの提案でバスラのマヘディ軍攻撃に踏み切ったのはイラン政府とSICCの支持を得ていたからだろう。掃討が失敗だったのは、イラク軍の作戦能力と士気に誤算があったからだが、それにもかか拘わらずマリキはガッツを示したことで発言力を強めた。
この点でわたしの見方はマリキ首相を批判する多くの論調に反するのだが。

●イラク軍によるマヘディ軍討伐は不可能
一方、バグダッド郊外のスラム地区、マヘディ軍の本拠地サドルシティーの武装派はサドル師の停戦指令で一応平静になったが、なに、米軍の空爆が激しくなったため覆面をとって家に帰っただけであり、市街戦なら武器は何年でも戦えるほど闊達である。マリキが打ち出したマヘディ民兵に対する武器差し出せば購入し無罪放免にする呼びかけに、残念ながら応じる民兵がいた話を聞かない。、サドルシティーの民兵討伐はイラク地上軍ではムリ。ひとえに米空軍のピンポイント爆撃にかかっている。

ついつい、わたしの独白が長くなりました。公聴会でのオバマとヒラリーの言については明日にまわします。(続く)



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