安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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民兵掃討を決断したマリキの誤算
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〈 2008年 3月 29日 土曜日 )


●ペトレイアス=ファモスこのレポート報告
ブッシュは07年1月、超党派が半年以上かけてイラク新戦略を提案したベーカー=ハミルトン報告を退け、増派を進言する米陸軍本部が立案したCOINレポーとを採用した。COINとはCounternsergency(反乱/テロ迎撃)の略語。280ページの分厚い書類で、極秘ページを除いて一般公開されている(コラム07年1月27日参照)。このレポート作成の中心人物が現イラク現地司令官のペトレイアスである。

レポートで示された下の図を参照されたい。黄丸が地上軍を増派した時点、白丸はイラク軍強化とイ米軍協力をへて、赤丸は反乱軍との実戦を米英軍からイラク軍に完全に委ねる時点を示す。

イラク情勢は米軍増派後、概ねこのグラフ通りに推移し、今回、バスラを支配下においた民兵・ギャングをイラク政府軍が攻撃したのがグラフの赤丸というわけ。

●石油の要港バスラ
政府軍が正面切ってサドル師と対決、マヘディ民兵組織の掃討に踏み切ったマリキ首相をブッシュは『大胆な決断』優れた指導者と絶賛した。イラク第2の都市、バスラはイラクオイルの輸出80%を扱う積出港であり、ペルシャ湾への出口はここしかない。

バスラ一帯はイラク最大の油田地帯である。スンニとクルドが争う北部の油田地帯で爆破やサボタージュが多石油に関してはもっぱら北部地帯が報じられたが、南部はスンニやクルドから遠く離れたシーア派の奥深く、取り合い喧嘩にはならなかった。

余談ですが、隣国との喧嘩はあった。サッダム・フセインはクウェートに侵攻して湾岸戦争となったが、この原因はクウェート側から採油する油層がバスラ近郊の北部油田のひとつと繋がっており、盗油に怒ったフセインが盗み採油を止めるか、代価を払えと抗議したにもかかわらず2年以上クウェートは無視した。で、宣戦布告なしに曉のクウェート市急襲となったのですが、石油を止められた大日本帝国がおもいあまって真珠湾を攻撃したのと似てるな。どちらも国際社会への訴えと交渉がへたなばっかりに……。

さてバスラには多くのパイプラインが集まっている。北部からシリアやサウジにも送油管が敷かれているが、いままではバスラ経由が一番安全だった。それだからバスラ警備のイギリス軍はイラク警察と政府軍にバスラを委ねて撤退、いまは空港警備に専念している。赤丸のときに至ったのである。

●イギリス軍が撤退した南部の町
ところがイギリス軍が引いたあと、治安が悪化し始め、パイプに穴を開けて油を抜き取ったり、ギャングが横行し街が反乱軍の支配下になってしまった。自衛隊がいたサマワはその後、治安良好によりイギリス兵が撤退しサマワ警察に委ねられたが、ここも反乱軍とギャングが闊歩する街になってしまった。

反乱軍とはサドルの指令に従わなくなったマヘディ民兵や、他の自発的な民兵組織、ギャング化した武器を持つ市民などバラバラだが、政府軍に負けない武器をもつ。警察や政府軍にいる兵はマリキ首相に同調しない者が多く、食いはぐれた民兵や元マヘディ軍にいた民兵など、敵と繋がっている者も多く政府軍は一枚岩ではない。

●マリキ首相大決戦の失敗
イラクのショウダウン、運命を決する赤丸地点まできたが、2日目で政府軍の力量不足が露出した。すでに5日目、ナッシリヤ、クート、ヒッラ、アマーラなどシーアの主要都市へ飛び火、事態は拡大悪化するばかりである。一時鎮静しても武装派の勢力は衰えていない。バグダッドの反マリキデモ、政府高官の暗殺とや拉致、サドル・シティーからグリーンゾーンに発射されるミサイルはイラン製でアルカイダが使っていた性能の悪いカチューシャではない。4日目から英米軍が出撃、交戦するようになり、ペトレイアスの治安安定シナリオは赤丸まで到達したもののグラフの反乱・テロ勢力カーブは上昇に転じた。状況はマヘディ軍分裂、政府軍能力の低下、シーア派の内ゲバある。マリキの誤算はペトレイアスの誤算、イラクは新しい危機に直面した。(了)



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