安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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ダライ・ラマとチベット『文化虐殺』
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〈 2008年 3月 18日 火曜日 )


ラサ騒乱について、ダライ・ラマが「文化的虐殺」と評した意味が正しく伝わっていない。犠牲者が80人から数百人までと言われており、報道では大虐殺と非難したかのような印象をうけるが、ダライ・ラマは中国政府に寄る歴史的なチベット文化破壊政策を非難しているのであって、中国人民解放軍の武力攻撃による死者の数を主眼にしているのではない。

●言葉と民族の宗教を抹殺
中国人を大量に送り込み、商業は中国人に敵うすべなく、伝統的なチベットの宗教儀礼は多くが廃止され、中国式教育によってチベットの若者たちはチベット語が話せなくなってしまった。チベット語は蒙古語や日本古来の和語と似て表音文字である。日本は漢字をとりいれたがチベット語や蒙古語は、日本語で平仮名しかないのと同じ。したがってMacでもWindowsでもコンピューターでローマ字発音を入れるとチベット文字に変換される。ところがコンピューターに触れる若者層がチベット語離れしているため、もっぱら中国語、ネットは英語である。いまはそのネットも当局に封鎖されたが。

●中国化したチベット語
ラサの街路は中国語の看板がチベット語のものよりはるかに多い。チベット語そのものが中国の影響を受けて変化したという。チベットは和語の『て に を は から へ まで』などに類似した助詞を持つ膠着語に分類されるが、助詞を持たない中国式話法が広がった。つまり、文法が孤立語の語順に変わりつつある。たとえば「わたしは社員食堂でお昼を食べます」が、「わたし 社員食堂 タベルあるね」ととても支那風になるのだそうです。ま、日本語の助詞も省かれる場合が増えているようで、お風呂(に)はいります、お風呂(を)出ました、というふうに(助詞)を省きませんか。しかし言葉は文化であり、民族の歴史である。長い間に次第に薄れゆくチベット文化を憂いてダライ・ラマが常々発言し著述したきた。亡命政庁での発言『意図的にせよ無意識にせよ、いまチベットで起きていることは文化的虐殺である。』という意味は一に言語、二にチベット仏教の形骸化を指している。

チベット自治区の政府は北京の指図を受ける中国人であり、チベット人はよほどのツテがなければ役所に採用されない。ダライ・ラマが言うところの二流市民に落とされた。言葉を失い、民族の宗教と歴史を失ったチベットの若者にとって、ダライ・ラマは精神的支柱でもなんでもない。彼らは暴徒化し中国店を襲撃する。中国政府はそれを利用して武力鎮圧を正当化し、中国の国民はダライ・ラマ一派の仕業と思い込まされた。北京市民がオリンピックへの影響を問われてキョトンと「チベットの騒動は警察がちゃんと取り締まるからオリンピックと関係ない」と、西側の糾弾は中国国民に通じていない。 はて、国連が中国へ調査団を派遣できるほど権威はなし、世界の良心ダライ・ラマはゲリラのリ−ダーたり得ず、チベット人によるチベットの自治は中国体制が崩れるまで見込みないだろうな。(了)



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